アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<連載>宝田陽平の兜町アンダーワールド(826)死去していたマムシの森下氏+危ない証券会社

今年1月、バブル時代、「街金の帝王」とか、「マムシのアイチ」といわれた高利貸し「アイチ」(東京都新宿区四谷)の森下安道氏(冒頭右写真)が88歳で亡くなっていた。
かつては株式市場でも影響力があり、仕手筋の資金源だったことも。ゴルフは趣味を通り越してマニアの領域だった。取引先とフランスへゴルフに行くも、空港からゴルフ場へ直行。帰りはゴルフ場から空港へ直行と、観光はゼロだったそうだ。また娘を溺愛していたことで、バブル時代には雑誌に取り上げられたことも。娘さんは当時某証券の社員と結婚したがその後のことは分からない。
“マムシ”の異名が付いたのは、取り立てが厳しく、それは暴力団幹部に対しても同様だったからで、「マムシの森下」ともいわれ怖がられていた。
だが、96年、さすがのアイチもバブル崩壊の煽りを受け実質、倒産。もっとも、だからと哀れな末路だったわけではなく、その後もなぜか田園調布の洋館のような豪邸(冒頭左写真)に住み続け、大往生となったという。
なお、アクセスジャーナル本編の山岡氏によれば、その森下氏とは因縁があるそうだ。
山岡氏といえば、武富士盗聴事件が有名だが、01年2月8日、当時、『週刊新潮』記者だったM氏(その後、独立してノンフィクションライターに)に呼び出され、赤坂プリンスホテル旧館横のフランス料理店「トリアノン」に出向くと、森下氏が待っていて、横には紙袋が。森下氏は当時、武富士社長だった「武井保雄さんはいい人」「告訴を取り下げて」といったので、山岡氏は即座に断ったそうだが、実はその紙袋には商品券の束が入っており、山岡氏の対応次第では即座に渡すことになっていたという。
それにしても、現役の『週刊新潮』記者が森下氏と癒着し、事件潰しを図っていたというのだから驚きだ(この件は山岡氏の著書『銀バエ実録武富士盗聴事件』創出版。94~96頁にデフォルメして出ている。A=M氏)。
その森下氏、昨年2月、寝たばこで焼死した昭和時代の相場師・中江滋樹氏とも密接だったようだ。中江氏が逮捕された「投資ジャーナル事件」は有名だが、中江氏の当時の部下がその後、森下氏の担当営業マンとなり、今では某証券の会長として経営をしているという。

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