本紙でも現役時代から何度も報じていた、山口組の直系組織だった「後藤組」(解散。静岡県富士宮市)元組長・後藤忠政(本名・忠正)氏が死去した。享年83。
本紙が得た情報によれば、2月8日(日)、自宅でぐったりしているところを、周りの世話をしていた者が発見。死因は誤嚥性肺炎の模様で、同日午後1時54分に死去が確認されたという。
経済大物ヤクザとして有名で、五代目山口組時代、東京にいち早く進出、バブル経済時に富を蓄え組織を大きくした。
本紙・山岡が告訴、武井保雄氏が逮捕となった消費者金融最大手だった「武富士」にも食い込み、山岡の告訴を取り下げようと、フロント企業が接触して来たこともあった(山岡は拒絶)。
そのフロント企業は、ヤクザを描いた映画「ミンボーの女」(1992年)の伊丹十三監督に対し襲撃事件(全治3カ月)を起こしたところだった。後藤組は武闘派としても知られていた。
2005年には、JR新宿駅のすぐ近くの真珠宮ビルの地上げ絡みで同ビル管理人を刺殺する殺人事件が発生。後藤氏は同ビルの不正登記で逮捕。また、後藤組組員は殺人罪で有罪になっている。
こうしたことから、ヤクザというよりカネのためなら何でもありのギャング的人物との見方もあった(引退後に出した著書『憚りながら』では、伊丹監督襲撃を自慢していた)。
だが、2008年、本部定例会を欠席して芸能人を呼んで誕生会をしていたことを理由に除籍になり引退。当時、すでに今日の弘道会による六代目体制で、同体制に対する不満分子として実質、破門されたとの見方もあった。
翌09年4月、神奈川県伊勢原市の無常山浄発願寺(天台宗)で得度。本紙・山岡はなぜかヤクザ担当でないのに週刊誌でその取材をさせられた。同寺には、後藤氏が援助した新右翼の大物「野村秋介」氏と並んで、後藤氏の米国における肝臓移植手術に尽力したフロント企業「サムエンタープライズ」盛田正敏社長の生前墓(墓の文字は赤色)が仲良く並んでいた。
2011年ごろからカンボジアに移住も、06年に病気のため日本に帰国。
現役時代に貯めた資金を、わが国で地上げなどの資金に出していたようだが、うまく行かないことも少なくなかったようだ。



