アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の続・貧困記 第3回「立春」

*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。
新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)

相変わらず血圧が200を超えている。
頭痛がひどくなっているのは動脈硬化のサインだから、卒中で倒れないのがほとほと不思議である。
よくヨイヨイ(中気)になった夢はみるのだが、現実は案に相違して朝起きるとピンピンしている。
なんだか毎日、ロシアンルーレットで生きのびたみたいな気がしてくる。
「ディアハンター」のクリストファー・ウォーケンみたいに虚無的な日々である。

すでに終活ブログ(自分史)は書き終えた。
身辺整理もあらかた済ませた。
大したものはないが野村秋介さんからもらった巻紙墨書の書簡を額装したものや、野村さんが朝日新聞社で自裁した日の夜に届いた遺書のような最後の書籍「さらば群青」。扉には小生が好きだった野村さんの句、
口笛の 悪漢悔いなし 雲の峰
が墨書されている。
それから野村さんの愛用した45万円もするらしいベルサーチのジャケット。
阿部勉さん(下写真)が亡くなる2年前のある日届いた阿部さんの遺言書。そこには辞世と最後に、
「天皇陛下万歳。母さん万歳」と書かれていた。
フリーの編集者を自任した阿部さんが最後に作った本は当時、右翼民族派の長老だった中村武彦さんの「維新は幻か」である。ゴーストライターは山平重樹だった。
本の扉には中村先生のサインと阿部さんのあの独特な書体で小生宛に「第一刷第一冊」と書かれている。
すべては先輩たちとのたのしかった交遊の記念である。
これらは佐久の年少の友人に譲ってきた。
多少とも思想に関するものは青年に託すべきである。
大量に余っていた内職の便所絵もなじみの酒場で配ったらみんなカネをくれた。ありがたいことであった。
荒船山で自殺志願者を助けたときの富岡警察署の感謝状は誰もいらないというのでゴミ収集に出した。
和歌山カレー事件の確定死刑囚・林眞須美から届いた手紙類などはネットオークションで1500円で売った。

新規にはじめたこのブログは余生の暮らし方や生活の質に関しての極私的日録である。はっきりいって無用無益である。
できれば流行りの老人健康本のように実用、ハウツーならばよいのだがそうはならない。

はじめに結論を先取りすれば、老いたらはやく雑踏の都会なんか離れて田舎のプアハウス(公営住宅)を「終の棲家」とし好きなことだけをして余生を遊ぶのである。
プアハウスは大都市を除けば年金生活者なら全国どこでも家賃3万円以下で借りられる。
とくにお勧めはここ更科の鄙のような過疎地域の三流観光地である。
ちょっと侘しい昭和テイストの観光地に身を据えて、末枯れた観光名所を散歩して歩き、疲れたら温泉につかる。こういう余生は貧乏老人の理想に近い。
贅沢をいえば高齢者年金が世帯で15万円もあれば悠々自適の生活である。(なければもちろん生活保護を利用すればよい)
加えて預金が50万円ぐらいあれば明日に何の憂慮もない。夢のような暮らしである。
介護施設での終末期ケアは黙っていても行政が「姨捨システム」でなんとでもしてくれるから心配はない。
このブログの隠れたテーマは「老後2000万円問題」がいかにバカげているかというアンチテーゼである。
小声で語るそのひそかなアジテーションである。

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