アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第9回「和歌山毒物カレー事件・林眞須美死刑囚からの手紙」

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新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

この時期には毎年、東御市の湯ノ丸山にツツジ見物がてら登山に出かける。
湯ノ丸山の中腹にある牛の放牧地にオレンジ色のレンゲツツジが咲き乱れる。レンゲツツジには毒があるので牛が食べないから一帯はレンゲツツジの群生地となる。
新緑の山とオレンジ色の花のコントラストは東信州の初夏の風物詩である。
ツツジ牧場から標高2101米の湯ノ丸山へゆっくりと登山道を登っていく。
老人、しかも身障者1級の病人だから歩みはのろい。時速は1・5キロぐらいか。普通の人の平地の歩行速度は時速4キロだからほとんどカメの歩みである。
山歩きのプリンシプルは「小股・ベタ足・ゆっくり・前傾」という。この4つを忠実に守ることが疲労を最小限にする大原則である。
脈拍で主観的な運動強度を計る「ボルグ指数」なるものもある。
220-年齢=最高脈拍。73歳の小生の場合、最高脈拍は147となる。その70%の脈拍100が医者から厳命されている運動強度の上限である。
ちょっとした坂を登れば脈拍はたちまち100を超える。脈拍100以下を保つのは実はかなりむずかしい。
それでなくても若いころ、一日80本の煙草を吸っていたヘビースモーカーだったから現在でも軽度のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断されている。すぐに息が切れて呼吸が苦しくなる。
だから脈拍を100以下に抑えながら歩くにはとにかくスローペースの歩みになるわけである。

この時期の山歩きの愉しみは山野草、高山植物をさがして花を愛でることにある。
そういうとかつて30年間、新宿ゴールデン街という狭斜の巷で夜ごと飲んだくれていたアル中時代を知る人は唖然とする。イメージが違いすぎるという。
人間は変わるものである。まして老人ともなれば。その落差が大きいほど人生はたのしい。
老人は登山道のかげにひっそりと咲くちいさな植物になぜか魅せられるのである。
湯ノ丸山の山頂からいったん下って鞍部に下り、となりの烏帽子岳(2265米)へ登り返す。
路傍でイワカガミ、ハンショウヅル、ゴゼンタチバナ、ハクサンチドリ、スズランなどを見つける。いつの間にか花の名前もずいぶんと覚えた。
花が5ミリほどしかないマイヅルソウなどは老眼ではよく見えない。ピントが合わない。そのためにルーペを持ち歩いている。
立ちどまって花を観察する。写真を撮る。それがいい休息になる。
高山植物の女王、コマクサも咲いている。見つけると嬉しい。心ゆたかになる。
この山から浅間山につづく連山の尾根は日本の中央分水嶺である。
この尾根に降った雨は北に流れれば我妻川から利根川に流れ太平洋にそそぐ。
南に落ちればすぐ眼下を流れる千曲川から信濃川をへて日本海に流れでる。
なんとなく本州のど真ん中の脊梁を歩いているようで気分がよい。

週刊誌記者を引退するきっかけとなったのが1998年の「和歌山毒物カレー事件」だった。
はやいものでもう四半世紀が過ぎて記憶もおぼろである。
当時は「フライデー」に籍はあってもほとんど仕事をしない名ばかり記者だった。
若い編集者にしてみれば50近いウルサ型のオジサン記者など使いたくない。面倒くさいと敬遠するから仕事を依頼しない。はっきりいって「飼い殺し」のようなものだった。

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