昨年12月11日(水)午前10時から、“最後の総会屋”ともいわれる竹之内昌虎被告の脅迫事件の被告人質問(第4回公判)があったので報告する。
なお、本紙がなぜこの事件をウォッチし続けているか、またこんなに報告が遅くなったのかについては、第3回公判報告の冒頭で述べている。
この脅迫事件、本紙アクセスジャーナルに掲載された18年12月の「GFA」(8733。JQ)の当時の取締役M氏に関する不正疑惑のネタ元である別のM氏が、翌19年1月、竹之内被告との電話会話のなかで、同人から、暴力団の名前を出され、「さらうぞ!」などと脅されたとされる内容。
竹之内被告は当時のGFA取締役M氏と懇意で、本紙の記事に立腹、また名前を出した暴力団幹部から「お前が付いていて、なぜこんな記事が出るんだ」ともいわれ、行動に出たといわれる。
だが、この脅迫されたという電話の通話記録は約11分もあったことがわかっている。また、この電話会話の記録はないとされ、したがって、その会話内容がどのようなものだったかわかっていない。
本紙が不思議に思うのは、この時の電話は、GFA取締役M氏→不動産会社社長F氏(第3回公判の証人)経由で、竹之内被告が電話をくれといっていると伝えネタ元のM氏から電話したもの。
記事が出た直後、総会屋から電話をくれといわれれば、怒っていると察して電話録音してもおかしくないし、また、その時間的余裕もあったのに、なぜ録音記録が存在しないというのか?
それから、この経緯を見れば、竹之内被告が電話したネタ元M氏にいきなり怒りをぶつけたとしてもおかしくない。しかし、それで11分もいい続けるなどあり得ないだろう。なぜ、そんなに長電話になったのか?
これは双方とも認めているのだが、最初は普通の会話をしていたという。なぜ、総会屋と、敵といっていい立場の本紙のネタ元が……。
これまでの公判で明らかにされたことだが、竹之内被告とネタ元M氏は本紙記事が出る前、18年10~11月、最低でも4回は会っていた。しかも、ネタ元の方から竹之内被告が反社会勢力の総会屋であることを認識した上でだ。そしてネタ元主張によれば、GFAに新規事業を提案するためだったという。
もちろん、本紙はこの公判で初めてその事実を知って驚いた。
これでは、新規事業が通らなかったからことから腹いせに本紙にネタを持ち込んだということか?
しかも、これはこれまでの公判で明らかになったことだが、ネタ元は竹之内氏被告に会った際、自分の父親は神戸山口組大幹部のオジキに当たる元組員で、その関係からその大幹部を「兄さん」と呼んでつきあいがあると話していた。また、当時のGFA取締役M氏が記事取り消しをネタ元に求めた際、あくまで例えでいっただけというが5000万円という金額を出しており、それを恐喝されていると受け取ったことから竹之内被告が、「何の恨みがある。俺の前でゆすり、たかりをするな」などと電話の会話のなかで述べていたことを検察は冒頭陳述のなかで明らかにしていた。また、その冒陳で検察側がネタ元は暴力団組織のなかに知人はいるが組員ではない旨、わざわざ述べていた。
では、被告人質問で飛び出した本紙が注目する主な内容を以下、報告しよう。
竹之内被告はネタ元M氏と7、8回は会っており(すべてネタ元M氏側から会いたいと)、しかも内2回は本紙の18年12月の記事が出た後だという。