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新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)
信州では残雪の消えた日当たりのよい傾斜地などに最初に咲く花が、福寿草である。
名前がめでたい。元日草ともいう。晴れた日にしか花は開かない。
この金色の花が咲くと信州に遅い春がやってくる。
いよいよ信濃路の花紀行がはじまる。老人のこころはときめく。
温暖な早春の一日、プアハウスから30分ほどの隣村、大岡村日方の福寿草群生地に出かけた。
群生には少し早かったが花はぽつぽつと咲いている。
山里のちいさな集落である。点在する民家の風情が見る者の郷愁を誘う。北アルプスの眺望は絶佳、素晴らしいロケーションである。
信州のナイーブ(素朴派)画家・原田泰治の絵にでてくるような、忘れられた日本の風景である。訪れる者のこころを癒す山水である。
村の人口はもう1000人を切っただろう、典型的な消滅自治体である(知らなかったが、大岡村すでに長野市に編入されていたらしい)。
付近を散策し田んぼの畦にフキノトウが沢山出ていたので収穫する。信州では公道から採れる自然のものは、基本的に誰が取ってもいい共有物になっている。
帰って天ぷらとフキ味噌で食した。あの独特な苦みがしみじみ春の味だなあ、と思う。
信州新町に下りてダム湖のへりに建つ町のミューゼ(美術館)をのぞく。
明治の人道主義リベラリストたちの白樺派に有島三兄弟(有島武郎・有島生馬・里見敦)がいる。生馬の旧居がここに移築されて記念館になっている。時代は経ているがコロニアル様式の瀟洒な建物で、とくに湖にせり出したサンルームが素晴らしい。好きで何度か来ている。
有島武郎の長男が知性派俳優だった森雅之で、その私生児が役者の中島葵だった。よく新宿ゴールデン街の飲み屋で姿を見かけた。
その亭主が演出家の芥正彦だ。ドキュメンタリー映画になった三島由紀夫と東大全共闘の討論会で有名である。
前にも書いたが、この男とはゴールデン街で何度かケンカになりそうになった。とにかくエラそうで生意気な男なのである。
ところが小生が阿部勉さんと親しいと知るとたちまち態度が一変した。そんな下らない男である。
小生も右翼と思われたのだろうか。
「新藤のメンタリティは左翼だよ」と見抜いていたのは阿部勉さんだけだった。
恥ずかしながら若い頃からひそかにアナキストを自認していた。阿部さんは右も左も弁別しない。あくまで人物本位である。イデオロギーの欺瞞に辟易していたように思う。
だから阿部さんの生前最後の旅は唐牛健太郎の函館墓参ツアーだった。60年安保の花の全学連委員長である。この人のことはリスペクトしていた。
大物右翼の児玉誉士夫の邸宅にセスナで突入して死んだ前野霜一郎を擁護して、いい文章を書いている。
行動でも示した。前野が日活ロマンポルノに出演していた俳優だったので自分もポルノ映画に出たのである。阿部さんは言った。
「ポルノ俳優が右翼のマネをするのがおかしいのなら、右翼がポルノ映画に出ようじゃないか」
阿部さんの若い頃の話である。こんなことも言っていた。
「女優との絡みで思わず勃起してしまったら『阿部ちゃん、マジメにやって!』って怒られたなあ」
三菱の創業者・岩崎弥太郎の曾孫で父親は「三菱の天皇」といわれた三菱重工の社長というブルジョワ家系。なのに晩年は生活保護だったのが、牧田吉明である。
かっては黒ヘルの極左暴力団でピース缶爆弾の犯人というテロリストである。
牧田が生前よくいっていた。
「野村秋介さんも阿部も『天下の拗ね者』だった。俺もお前も世間の拗ね者じゃないか」