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本紙“生みの親”ーー『噂の真相』元編集長・岡留安則氏が肺がんのため死去

 月刊『噂の真相』元編集長・岡留安則氏が1月31日午前0時16分、右上葉肺がんのため、04年4月の同雑誌休刊後、移住していた沖縄県那覇市内の病院で死去した。享年71歳。
本紙・山岡の「編集長紹介」のところで、「常連的に寄稿していた『噂の真相』(休刊)の反権力、タブーなしの意志を受け継ぎ、ほぼ日替わりで、取材等で知り得た情報を公開して行きます」と記しているように、本紙と山岡は、『噂の真相』と岡留氏と関わりが深い。深いどころか、そもそも山岡がいまのマスコミ世界に入ったのは社員募集で『噂の真相』を受け、落ちたものの、それを契機に同誌の常連ライターとなった上、岡留氏の紹介で事件ジャーナリスト・伊藤博一氏の元で1年近くデッチ奉公のようなかたちで修行し、空きが出て伊藤氏の紹介で以降、『週刊大衆』の専属記者を30年近くやれているわけで、山岡は自分のジャーナリストとしての経歴をいうなかで「噂真出身」と公言しているほとだ。
その『噂の真相』を立ち上げ、休刊する2004年までずっと社長兼編集長をしていた岡留氏が亡くなった。
 山岡が『噂の真相』の社員に募集したのは、大学時代にその雑誌の存在を知り、同誌の標榜していた「タブーなき反権力雑誌」に共感、そして書店に販売されている一般誌のなかで他にそんな雑誌はなかったからだ。
それでも山岡が週刊誌記者になった1990年ごろは、岡留氏が志向していた政治家や大手企業など“強い者”に物申す「スキャンダルリズム」、「ゲリラリズム」的な記事はまだ週刊誌を中心とした雑誌では出されていた。だが、『噂の真相』が休刊してから早15年、かなりの雑誌が潰れ、いま残っている週刊誌は高齢者のハウツー本と化し、「調査報道」の類は皆無といっていいほどだ。
いわゆる事件ものをやっても、提訴されるなどのリスクが高く、かつ売れない、話題にもならないからだ。国民の民度低下と比例してのことだろう。
そして「安倍一強」の今日、その『噂の真相』時代、安倍晋三首相のパチンコ業者との癒着や自宅火炎瓶事件の背景にあった暴力団との関係などを山岡が担当した縁もあり、昨年6月、本紙は安倍首相の選挙妨害の重大疑惑をスクープ、現在もその闇を追及しているわけで、岡留氏の意志はいくらか引き継いでいるつもりだ。
「岡留編集長、本当にお疲れ様でした!」。合掌。

●参考
留安則が肺がんのため死去 元スタッフ一同による正式報告を全文掲載

[追悼・無料放送Part2]岡留安則氏:『噂の真相』的ジャーナリズム論と日本メディアの衰退

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