筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
ネットフリックスで新しい『新幹線大爆破』を観たので、久しぶりに旧作(東映1975年。佐藤純彌監督)も観直した。新旧の比較はここではパスするが、いろんな意味でよくぞリメークに挑戦したと、その奮闘ぶりは称えたい。それにしてもあっと驚く犯人像は今の時代ならではだけど、なんだかなあ。そこは観てのお楽しみということで、今回は旧作であらためて感じたことを挙げてみたい。
まず新幹線の車内アナウンスで、「50歳以上の老人の方」というのにのけぞった。55歳で定年という時代、主役の高倉健も40代前半(劇中では30代後半)だが、その渋さや貫禄は今なら60歳くらいの感じだけどね。 乗客がパニックに陥る様子や追う警察のバカさかげんなども、「昭和だもん」でつっこみどころ満載なのだが、ジーンとくるのは、倒産した零細工場の親父に扮した高倉健、学生運動に挫折した山本圭(警察が「昭和46年に三里塚闘争で公務執行妨害逮捕」なんて言ってる)、沖縄からの集団就職組で職を転々の織田あきらと、3人の背景と絆が、1970年代を体現している。今だと「凶悪なテロリスト」でくくられるところを、当時の東映というのはヤクザ映画も含めてこうした屈折した心情をきちんと描いていたのだ。
一方で、宇津井健が熱演した国鉄マンの誇りと心情は、分割民営化以降だとあり得ないかもな。公衆電話でダイヤルを回すという行為だけでサスペンスが盛り上がるというのも、スマホ時代では味わえないんだよ。