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新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)
風薫る気持ちのいい季節である。
人生の最晩年と思い定めている今年は、早春から花を見に出歩いている。いま老人のいちばんの愉しみである。
桜の花見も近辺の名所に5、6回は出かけただろうか。
満開の桜の下、ベンチで麦酒なんか飲みながらただ茫然として時を過ごす。
陽気がよければ野芝に寝転がって頭上の桜花にまみれ、わが人生の来し方に思いをはせたりする。
反省などはしない。老人はただ諦めるだけである。
「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
西行の辞世のうたが梅なのか桜なのかは知らない。
ただ、死をいざなうのなら桜のような気がする。
更科という歌枕の土地に暮らすようになってから、老人の感慨も古くさい。
観桜の最後は、高山村のしだれ桜を見物した。
この鄙びた山村には五大桜と称して、樹齢200年を超すといわれる巨大なしだれ桜の古木が何本かある。
それを目当てに全国から桜マニアが集まる。田んぼ道に県外ナンバーのクルマが並ぶ。
圧巻のしだれ桜の樹下を見ると、墓がある。墓地の桜は田舎ではよく見る風景である。
むかしは(というよりつい近年までは)土葬だったから、土壌は肥沃である。桜は死者の滋養で育つのだ。
墓地に人が集うのは年に数回しかないから、土が踏まれることもなくやわらかい。根は自在に伸びる。
そうと分かっていても、やはり桜にはひとの死と密接ななにかがあるのだと思いたい。
三島由紀夫の「花ざかりの森」や、坂口安吾の「桜の森の満開の下」を思いだすからである。
天幕の下で「熊の油」なんかを売っている地元の年寄りをみていると、むかしながらの渡世をしている百姓の朴訥さが伝わってくる。
それもまた、田舎の土地を歩く愉しみのひとつである。
いま、里では桃の花がさかりである。この土地は「川中島白桃」というブランド桃の産地であった。
若草の萌えだした緑の田園地帯に濃いピンクの花と黄色い菜の花、レンギョウ、ヤマブキなどのコントラストが美しい。
白いリンゴの花や八重桜、ハナモモ、薄紅色のプラムなどもいっせいに咲きだした。花ざかりの里である。
ふりかえれば里山の所どころに、ヤマザクラの淡い薄紅色が散っている。
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
あの本居宣長のヤマザクラである。
花の色はあくまでも品よく淡い。
恥ずかしながら、この年になるまでこの花の美しさに気づかずにきた。近くにヤマザクラを見なかったからである。
気がつくと、街路樹もコブシの白い花からハナミズキの白やピンクに変わっている。ドウダンツツジやライラック、ユキヤナギなども咲きだした。
まるで向井潤吉の絵のような、むかしと変らぬ田園風景がある。
涙のでるような郷愁を感じる鄙の風景である。
卯月はめずらしいことに、週末になると来訪者がつづいた。
だからつい酒を呑むことになり、週明けの透析日には体重が4キロ以上も増えている。
すでに小便は一滴も出ないから、摂取した水分のほとんどは体に溜まるのである。
それが浮腫(むくみ)となって、下肢や顔面をぷよぷよに膨らませる。風船のように腫れたひどい顔になっている。
看護婦からは「もう透析時間が4時間では足りないので5時間に延ばしますよ」と脅される。
無尿の透析患者がいちばん苦労をするのが、一日700mlまでという水分制限である。
そんなものは守れるわけがない。お茶も味噌汁もスープも断念したが、それでも水分は1リットル以上は摂取してしまう。
朝食のヤクルト、珈琲、ヨーグルトですでに半分は摂取しているのだ。
分かってはいるが、来訪者は「最後の一献」という永遠の別れを告げにやってくるのである。
酒がなければはじまらない。そんな相手に「病気だから飲めないい」とはいえない。
死んでも呑むしかない。