筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
間もなく“呪われた東京オリンピック”に突入するが、ここで前回(1964年)の東京オリンピック(冒頭写真=10月10日の開会式時の旧国立競技場)の時代を振り返ってみることにした。
以前に『1964東京ブラックホール』(NHKで放映されたドキュメンタリー・ドラマ 単行本もあり)について取り上げ、当時の東京がいかに公害まみれで、衛生環境も労働環境も生活空間がいかに劣悪だったのか、という実態が暴かれ、高度経済の明るい日本がうそっぱちだったことを書いた。
そこで今回は、あの年にどんな流行歌がヒットし、みんなが口ずさんでいたかを振り返る。(流行歌っていうのは本来、風呂場で歌ったり歩きながら口笛吹いたりしたのだ)。
検索してみたら、こんな曲がヒットしていた。
『愛と死をみつめて』(青山和子 日本レコード大賞受賞)、『夜明けのうた』(岸洋子 歌唱賞受賞)、『アンコ椿は恋の花』(都はるみ 新人賞)、『君だけを』(西郷輝彦 新人賞)、『幸せなら手をたたこう』(坂本九)『東京の灯よいつまでも』(新川二朗)、『お座敷小唄』(松尾和子・マヒナスターズ)、『あゝ上野駅』(井沢八郎)、『涙を抱いた渡り鳥』(水前寺清子)、『だまって俺について来い』(植木等)、『恋をするなら』(橋幸夫)、『君たちがいて僕がいた』(舟木一夫)、『若い風』(ジャニーズ)と、まあこんな感じである。
こないだ書いたセクシー歌謡から70年代アイドルの時代とは違った、いかにも戦後日本高度成長期の歌謡曲である。注目したいのは、GS以前の男性アイドルが、橋、舟木、西郷の3人が絶好調で、これに見た目可愛い三田明と元祖ジャニーズが加わって、日本中の10代女子がキャーキャー言っていたわけだ。
そんななかで今でも印象に残っているのは『東京の灯よいつまでも』で、最初も「雨の外苑、夜霧の日比谷~」のところが何ともいえない。同じ年の『あゝ上野駅』のローカル感覚と対象的で、シャレた都会の匂いがする。