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新藤厚 1951年生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)
冬木立の寒林に枯葉が舞っている。
山茶花の咲く小径で、はじめて「しろばんば」を見た。井上靖の小説でしか知らなかったこの雪虫が出てくると、信州も本格的な冬となる。
今年はクマに狙われた採る人のいない柿の木も、葉はすべて落ち、残る実は淋しくなった。
一本の木にひとつだけ実を残す風習を、「木守り」などといったりする。
灰色の風景のなかで、柿の実の一点の朱は寂寥を際立たせる。
はやいもので終の棲家さらしなの里に寓居を移して、もう1年になる。
新しい町も一年暮らせば土地には馴染む。住民にも慣れる。
散歩が趣味の老人だからこの一年、プアハウスの周辺、かつての宿場町を歩いて横丁や突き当りの路地にまで親しんだ。
江戸時代から繊維製品の集散地として信濃随一の商都として栄えた善光寺街道稲荷山宿は、江戸末期の善光寺地震の大火で宿場は灰燼に帰した。
その後、明治にかけて、重厚な防火建築の土蔵造りの商家町として復興する。
その町並みが現在の「重要伝統的建造物群保存地区指定」(重伝建)の稲荷山宿である。
本来は中山道の妻籠宿や馬籠宿のように、インバウンド客であふれかえってもおかしくない近代日本独自の建築遺産なのである。
壁の厚さが30センチもある白壁土蔵造りの大きな建造物は、見る者を圧倒する。
ただし多くの建物は、土壁に塗られた漆喰が剥落し、中の土壁も崩落したりと保存状態がきわめて悪い。
それらのほとんどは空き家である。無人の廃墟をさらしている。
千曲市はそういった価値ある建物を、少しづつ丹念に買い集めている。
重伝建の土蔵建築を修復して、新たな観光の町づくりをめざしているという。
かなしいことに人口減少の止まらない「5割自治体」には、そのための予算がない。
観光協会の職員の話によると、稲荷山宿がかつての土蔵造り商家群を改修再現して観光客を呼べるようになるのは、「恐らく20年ぐらい先」になるだろうという。
「妻籠や馬籠のような木造建築だと、映画のセットのように改修も安く時間もかからない。ただ土蔵造りは土壁を塗って1年乾かし、翌年に漆喰を塗る。その時間、費用が桁違い」なのだそうである。
いまは誰も知らない三流観光地だが、20年後には有名観光地にブレイクスルーしているかもしれない。
そんな宿場町で、気にいっている豆腐屋がある。
黒く煤けたような小ぶりの土蔵造り。年季の入った黒い煙突が屋根から突き出ている。
看板はないから名前は知らない。むかしから屋号も名字をつけたこともない「ただの豆腐屋」でやってきたという。
ガラス戸に「豆腐・油揚げ・厚揚げ」と手書きのちいさな紙が貼ってあるだけだから、知らない人は営業中の店舗とは思わない。
小生と同年代のオヤジによると創業80年、自分は3代目だが跡継ぎもないのであと2年ぐらいで廃業することになるだろうという。
この店の一丁100円の豆腐がめっぽう旨い。
だから夏は冷奴で、この季節は湯豆腐で味わっている。
豆腐製造の小ぶりな機械の並ぶコンクリ土間の店内を見ていると、松下竜一の『豆腐屋の四季』を思いだす。
そこに、テレビドラマで松下役だった緒形拳が立っているような気がする。
岸政彦ではないが「さらしなの生活史」を感じさせる、堆積した時間を感じるのである。



