アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の続・貧困記 第20回「霜降」

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新藤厚 1951年生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)

周囲の里山が赤や黄に色づきだすと、里の朝は気温が5度を下回るようになってくる。
いきなりの寒冷にたまらずストーブを出し、朝晩は暖房を使うようになった晩秋風情である。
霜降の暦どおり初霜も降り、東に見える志賀高原などの東方連山でも初冠雪があったらしい。
気がつけば山里は、火の恋しい季節の到来である。
老人は筋肉も減少し基礎代謝の機能低下で発熱がうまくできないから、寒さにはからきし弱い。
そのうえボケ老人は脳に委縮などがあるので、より寒がりになるらしい。
案の定、老体はこの気温変化についていけず、たちまち絶不調におちいった。
頭痛、発熱、倦怠感、咽喉の痛み、食欲不振といった初期感冒の症状でダウン、3日ほど寝たきり老人になった。
いくらパブロンゴールドをのんでも、すっきりと快癒しない。
もう半月以上そんな半病人の具合がつづいている。
そういえば透析後の疲労、倦怠感もこのところますますひどくなっている。
考えてみればわが身も透析患者の「平均余命5年」までは残り1年余りとさして残ってはいなかった。
考えてみなくとも、死はそこまで迫っているのだった。
息子たちに連絡して、葬式の金銭負担などこまごましたことを依頼した。
「死ぬまえにもういちど父と飲みたいなあ」と50歳近くになる長男がいう。
長男は高校生の頃から新宿G街を連れまわしたから、親子でさんざん飲んだのである。
愛人宅に入り浸って家庭を顧みなかった「火宅の父」だったが、子どもたちに嫌われていないのは不思議なことだった。
もちろん小生は葬式なんてまっぴらごめんだが、残った家人に家族葬をしたいといわれれば拒絶もできない。
死者は生者に従うしかないのが世の習いである。

この間にまた肉体の劣化からだろう、新規の疾病に苦労している。
脊柱管狭窄による脚のシビレは手術で完治したが、今度は尻から太腿の側面に強烈な痛みが走るようになった。
10分ぐらい歩けないほどの痛みがつづき、ふとウソのように痛みは消える。
典型的な座骨神経痛の痛みである。腰痛もあるので原因は椎間板ヘルニアだろうか。
加えて脚の大腿四頭筋や背筋、腹筋の減少も関係しているのかもしれない。
悪くなるようだったら、また整形外科にかからなくてはならない。
つい昨日まで簡単にできていた椅子から片足で立ち上がる動作が、1回もできなくなった。
その結果は「ロコモ度3」で「社会参加に支障あり」だそうである。
筋力低下はサルコペニア、フレイルと進行してついに「健康寿命」が尽きたのである。
日本人男性の平均健康寿命は73歳だから、それより2年ほど長持ちしたことになる。
年甲斐もなく山歩きなどをしていたので、脚力には自信があった。
整形外科医からも「10歳若い」と太鼓判を押されていたのに……。
終焉は恋とおなじで、ある日「突然炎のごとく」やってきたのである。
いまはイロハカエデ(ジャパニーズ・メープル)の紅葉が美しいいつもの温泉で、後期高齢者のジイサンたちをあらためて観察してみた。
やはり誰一人としてシャキッと歩く者はいない。
みんな腰が曲がっているか、片足を引きずるか、ガニマタか、いやはや無残なものである。
「長生きは老化のはじまり」とはよくいったものである。
老化現象には際限がない。死ぬまでつづく泥濘である。
毎回「貧老病死」の暗い話ばかりで申し訳ないと思っている。

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