筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
前回に続いて『日刊ゲンダイ』の話題だけど、今回は最近の記事(10月28日)で、スージー鈴木氏の連載「1975~そのときニューミュージックが生まれた」の「花の高2トリオ」の章を読んでいろいろと思い出してしまった。花の高2トリオとは、山口百恵、桜田淳子、森昌子のことで、その2年前は「花の中3トリオ」でアイドル戦線の先頭を走っていた。
そして3人とも高校2年になっても、次々にヒット曲を飛ばし、この夏には『花の高2トリオ 初恋時代』なんて映画も作られた(観たよ)。それで鈴木氏によれば、75年発表のシングルレコードの売り上げは桜田淳子がトップだったという。調べてみたら75年のブロマイド売れ行き(マルベル堂)も、月刊『明星』の年間人気投票も、桜田淳子が1位だったのだ。今から思い出すと、そこまで人気あったっけ? とちょいと意外な感じだ。
というのは、後々の統一教会と桜田淳子の関係があって、たとえばアイドル回顧番組とか、アイドル談議でも、話題にしない空気みたいなものがあって、75年トップアイドルの印象が薄くなっているのかも知れない。そこで統一教会の話題はここでは置いといてと、淳子のアイドル街道を振り返ってみよう。その2年前、「スター誕生」の決戦大会で番組史上もっとも多くのプラカード(25社だったという)が上がった瞬間のことを覚えている。歌のうまさというよりも「私はアイドルになるために生まれてきたのよ」的オーラがすごかった。



