アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第151回「アイビールックの若者は何処」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 若者のファッションを見ていると、そういえばアイビールックで決めている男って、あまり見なくなったね。その昔、『平凡パンチ』が創刊された頃(1964年)の表紙イラストはアイビーだった。66~67年頃、カレッジフォークなんて流行り出したころ、メンバーは大体アイビー。長髪のグループサウンズに対して、健全で清潔な青年を強調していた感じだった。
こちとらが中学生の頃は、周りのお兄さんたちはアイビーが主流で、まずヘアースタイルはきちんと横分け、バイタリスとかMG5なんかのヘアリキッドとかチックで形をつくる。ボタンダウンのシャツに、三つボタンのブレザー、セーター、ポロシャツ、コットンパンツ、革靴と、スカしやがって、これでモテようって魂胆に見えた。このアイビールックを先導したのが、あのVANである。周りでも、カッコつけ中高生たちはVANがどうしたとか盛り上がっていたが、こちとらダサイ系中高生組だったので関係なかった。
 さて、大学時代(1973年~)頃になると、長髪(本格ヒッピー風から無精な横着長髪まで)が主流で、ベルボトムのすり切れたジーンズ、Tシャツ、ジーンズのジャケットやサファリジャケット、安物の薄いジャンパーとか米軍払下げの作業服みたいなのとか、アイビーは少数派になっていたのだ。それでも例えば、グリークラブとかESS、ゴルフやテニスの同好会、法曹・会計士など資格を目指すサークルなどは、アイビー比率が高かったようだ。

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