アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第149回「1975年の長嶋巨人」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 長嶋茂雄の死去で、追悼記事や思い出の映像が続いている。こちとらナイターを観始めた小学2年(1961年)からアンチ巨人、大洋ホエールズファンだったので、長嶋に格別の思い入れはない。しかし「巨人・大鵬・玉子焼き」なんて言葉もあるように、子どもは皆巨人ファンだなんて決めつけもひどく、野球帽まで巨人一色だったので、わざわざはがして被ってくらいだ(ひねくれたガキだね)。
 1965年から始まるV9時代は全く興味なし。74年の長嶋引退の挨拶「巨人軍は永遠に不滅です」も感動しなかったな。ところがその翌年、長嶋初監督のシーズンで何と突然巨人ファンになってしまったのだ。1975年は広島カープが初優勝、長嶋巨人は何と球団史上初のリーグ最下位という不名誉な年。当時、メディアも識者もOBも、長嶋監督不甲斐ないとバッシングの嵐。こちとらも当初は、ざまみろなんて気分で冷たく見つめていたんだ。
 そんなある日、ワイドショー番組で、あの竹村健一(保守派コメンテイターとして何かと登場)が、長嶋監督のダメさをネチネチ批判すると、同席していた鈴木武樹(ドイツ文学者、革新自由連合から出馬したり、プロ野球評論家としても本を何冊も出す)が、長嶋監督によって巨人にようやく戦後民主主義がやってきたのだとか猛然と反論したシーンを覚えている。そういえばV9時代の監督・川上哲治は管理野球の権化で、バントに失敗すると罰金が科されるとか、非情な「名監督」だった。

 

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