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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第114回「八代亜紀とトラック野郎」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 新年早々大変なニュース続出であるが、訃報でショックだったのは八代亜紀だ(昨年12月30日。享年73)。
思い返せば、前回取り上げたキャンディーズや、山口百恵、石川さゆりがデビューした1973年に八代亜紀も(長い下積み時代を経て)ブレイクしたのであった。ただしこの頃は、それほど意識してはいなかった。
 それが「これはイケてる」と思うようになったきっかけは、1977年の夏、日比谷野外音楽堂で開催された八代亜紀とトラック野郎のコンサートに行ってからだ。なんでこうなったかというと、当時、東映の人気シリーズだった『トラック野郎』シリーズ(主役は菅原文太。相棒役に愛川欽也)の5作目『度胸一番星』に八代亜紀がトラックドライバーとして登場したのだった。
この映画にタイアップしたコンサートになんと全国のトラック野郎たちが招待されたってわけ。会場の野音に入ると3千人くらいの参加者の半分以上がトラック野郎。こちとら一般客の入場料も随分安かったと思う。この日比谷野音はそれまでもロックやフォークのコンサート、全共闘―新左翼の集会などで何度も行ったけど、こんな設定は驚きで新鮮だったね。
だって、フィナーレはトラック野郎たち100人以上がステージに上がって八代亜紀と一緒に歌うんだからもう感動のシーンだよ。その後、友達に「八代亜紀とトラック野郎のコンサート行ってきたぞ」と自慢すると、「何じゃそれ!」「冗談だろ」と本気にしてもらえないか、無視されてしまった。

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