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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第38回「ワシントンハイツを知ってるか?」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

前回は御茶ノ水の話だったが、そういえば原宿駅もリニューアルした(冒頭写真)んだよな。
原宿で突然思い出したのが、小学校時代の「全校遠足」だ。時代は今から60年も昔、こちとら生まれは渋谷区は代々木上原で小学校1~3年生までは上原小学校に通っていた(その後は小平市花小金井に引っ越す)。時代でいうと1960~62年、その頃、上原小学校では学年ごとの遠足とは別に「全校遠足」という独特な行事があったのさ。
これは毎年11月、全校生が上原小から明治神宮まで全行程を歩いて往復する。片道1時間ちょっとくらいだが、何百人もの小学生が1年生から6年生までぞろぞろ歩いていくんだから壮観である。
明治神宮に着くと昼食だが、学校が全員の昼食を用意する。給食に出るような巨大なコッペパンにハムが挟んであってビン入りの牛乳とともに配られるのだ。これがもう無茶苦茶嬉しかった。たかがハムコッペだとバカにしてはいかんよ。当時の給食ではコッペパンにハムなんてあり得ない。ふだんは、不味いマーガリンだけで、月に1回くらい、揚げパン(油で揚げた巨大なコッペパンに砂糖をまずしてある)や、たまにピーナツクリームが塗ってあるのが出ると、もう教室中が歓喜の嵐というくらい貧しい時代だったわけさ。
そこにハムだよ、もう全校遠足毎週やってくれえ(授業もないし)なんて言ってたもんだよ。それからふだんは生ぬるくて薄甘い脱脂粉乳だったもんで、ビンの牛乳というのもゴージャスだったな。
さて、この全校遠足の途中で見たのが戦後史で語られるワシントンハイツ(横写真)なのであった。
ワシントンハイツとは戦後、占領軍である米軍(空軍)の将校とその家族が住むエリアで、かつての日本軍練兵場の敷地を丸ごと接収したもので、今の代々木公園、国立競技場、NHKなどの敷地に、アメリカ映画に出てくるような庭付きの住宅から、スポーツ施設、劇場などが完備していたのだ。当時は小学生だってワシントンハイツがどんな場所かくらいは知っていた。

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