増田好平防衛事務次官(横写真)56歳――彼自身、恐らく次官のポストに上り詰めるとは夢にも思っていなかっただろう。 彼の就任ははっきりいって棚ぼた以外の何ものでもない。
理由はただ一つ、小池百合子防衛相VS守屋武昌次官の激しい対立だ。今年の夏、突如勃発した両者の抗争については、すでに聞き飽きだろうから、ここでは言及しない。ただ、「増田」の名前がこの対立の中で始めて浮上したことだけは間違いない。
小池氏の意中が西川徹矢官房長(当時。横写真)だったことは、すでに周知の事実。では守屋氏はどうだったか。後に小池氏は他の媒体で、さも増田氏就任は自分で決めたかのごとく語っているがそれは嘘。実態は、追い込まれた守屋氏は若返り策を提示せざるを得ず増田氏を指名、官邸はオーソライズし、小池氏はそれに異を唱えなかったに過ぎない。
そうして次官に就いた増田氏はいかなる人物か。
東大卒で、エリート然とした彼はスマート、手堅さを旨とし、決してリスクを冒さない。豪腕・型破りの守屋氏とはおよそ正反対のタイプ。両者があまりそりが合わなかったのは想像に難くない。
増田氏も守屋氏の下ではなく、守屋氏と対立した大森敬治元防衛施設庁長官(後に内閣官房副長官補。横写真)の下を選び、省内派閥「大森グループ」の会合に公然と出席していたから、むしろ両者は冷え冷えとした関係にあったと見るべきだろう。
増田氏は筆頭課長までは順調にポストを重ねたが、その後失速し、一時は内閣府に出向。「片道切符か」とも噂されたが、人事教育局長として復活を遂げた。ただ、そこから次官に直接昇格した例は過去にも見当たらない。それほどのサプライズだったのだ。
その増田氏には過去、隠された恥部がある。
守屋氏が部下の筆頭課長に4500万円を預け、その部下が知人に資産運用を行わせていた事案がこのところ世間を騒がせている。事件発覚後は一貫して守屋氏に冷淡に対応している増田氏だが、この筆頭課長のことになると、どういうわけか口をつぐむ。周囲は「妙に同情的だな・・?」といぶかしんだ。 その理由はこうだ。