アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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元組員が証言ーー徳田虎雄と山口組直系組長との関係

 徳田虎雄「徳洲会」前理事長と、保岡興治元法相の“保徳戦争”といえば、中選挙区時代、唯一の一人区(旧奄美群島区)で、現在の小選挙区制を先取りした“仁義なき選挙戦”として当時、話題になったものだ。
83年12月、86年7月、90年2月と3度行われ、すでに旧田中派の中堅代議士(当選4回)だった保岡氏が僅差ながら83年、86年と連勝し、徳田氏が初めて勝ち代議士になったのは90年のことだった。
この3度の戦いで現金が乱れ飛んだのは有名な話で、いわば今日の公職選挙法違反事件の原点といえそうだ。
「当時、ロッキード事件で逮捕を受け、田中角栄が院政を敷き、一方、田中の弁護を弁護士でもある保岡がやっているなか、“生まれ故郷の徳之島でも本土資本だけが儲かる田中支配を破る!”、“病院建設を妨害する田中支配下の日本医師会に対抗する!”として徳田は出馬した。その言葉を聞く限り、正論だし、正義感に溢れていた。だが、保岡に勝つためにやったことは保岡陣営もビックリするほどの買収選挙。そんなことを延々続けていたのだから、自分の首を締めるのは必然だった」(関係者)
しかも、この“保徳戦争”では、徳田陣営側は山口組の直系組長の応援を得ていたのだが、そのことはまったく報じられていない。
当時、一部週刊誌報道では、同じ徳之島出身の佐々木道雄組長(当時)が、両者の仲介に入ったことが報じられている(冒頭写真記事)。が、佐々木氏のことではない。

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