アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<連載>宝田陽平の兜町アンダーワールド(603)「『兜町の風雲児』加藤あきら氏死去」

 金融商品取引法違反(偽計、相場操縦など)に問われ、東京地裁で公判中だった誠備グループ元代表・加藤あきら氏(75)が昨年12月26日、東京都内の病院で死亡したことが関係者の話でわかったのはご存じの通り。。
新年早々からキナ臭い話題もどうかと思うので、この加藤氏を追悼したい。手法はともあれ、彼が希代の大物相場師であった事実は誰も否定しないだろう。
ウィキペディアにも詳しく書かれているが、ここではウィキの一部内容の裏話中心に取り上げる。
 ウィキに誠備という名前は台湾の宗教「世界紅卍会」と書かれているが、私は「紅卍教会」と呼んでた。当時、銀座の裏通りのビルの中に教会があって、笹川良一氏もよく顔を出していたそうだ。
「誠備」とは紅卍教入信時の戒名だ。加藤氏と一緒に戒名を受けた人は誠ら(漢字不明)と名付けけらた。その人は鎌倉の由緒あるお寺の一族、右翼の大物といわれた田中清玄氏の門下生で、一時期加藤氏の宗教の先生であった。ただ、誠備を一緒に立ち上げた人物は別で20億円を貸し付けたものの返してくれず、追い込みかけるも加藤氏の住む高級マンションはセキュリティが高くて入り込めなかったそうだ。
バブル期の本州製紙仕手戦は有名だった。しかし、一時期株価が急落したときは主力の証券会社1社で追証が70億円も発生したそうだ。加藤氏は形勢不利になると連絡つかなくなるのは亡くなるまで一貫していた。


このころも電話は通じなくなる。万事休すと誰もが観念したとき、突如、香港の投資家が本州製紙の買収を表明する。そして本州製紙の株価は再び急騰し、加藤氏は助かった。この事件の裏事情は当時の関係者に聞いても「わからない」だった。
ところで、バブル絶頂期の運用資金は2000億と豪語して、資金が大きすぎて東京電力株に介入していたが、さすがに大き過ぎてだめだったようだ。バブル期の有力支援者の一人に地産オーナーの竹井博友氏がいた。一時期加藤氏に大儲けさせたもらったようで、億ションをプレゼントした。しかし、最後は加藤氏に利用され70億円以上の損させられ恨んで亡くなったそうだ。その竹井氏の息子が今のOakキャピタル(3113。東証2部)のオーナーである。Oakの実態が投資会社なのも親父の影響なのかも知れない。
 当時の有力支援者は他に京都のK田石材、歌舞伎町のY寿司など。Y寿司は数十億円儲けさせてもらい、30店舗以上に拡大するもののリーマンショック後は店舗縮小を余儀なくされ今では2店舗を残すのみとなった。
その後、幾度となく復活。泰山を立ち上げたときホテルニューオータニでセミナーを開いたが、恰幅のいい体格で言葉は自信に溢れていた。
そして、逮捕のきっかけともなった「般若の会」。この時は既に糖尿病が悪化してやせ細っていたためかつての面影はなかった。般若の会はかつての仲間、投資家にDMで勧誘し、一般投資家を集めたが、昔からの大口客(成功報酬客)は別に指南していた。その大口支援客も高齢で鬼籍となった。主な人物では長嶋茂雄記念館を福井で運営していた山田勝三氏、つくばエキスプレス開通により財を成した守谷市の元大地主など。がんが悪化して相場から手を引いている有名チェーン店創業者も。平成も四半世紀超えると昭和時代の大物も次々と亡くなってきている。
しかし加藤氏の相場師としての評価が下がるわけではない。希代の相場師として歴史に名を遺すであろう。蛇足だが、株式に限らず当局の大物逮捕指向は疑問だ。組織の存在感をアピールしたいのだろうが、その陰で小悪党はやり放題なのが現実だ。

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