アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の続・貧困記 第19回「寒露」

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新藤厚 1951年生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)

街のまん中を、南北に日本でいちばん長い川(千曲川)が流れている。
東西からひたよせる低い山並みにとり囲まれた瓢箪型の扇状地が、更科盆地である。
北は善光寺平、南にこの土地のランドマーク姨捨山が優美にそびえている。
里の秋は、稲刈りの終わった田の枯れ草色と山々の黄赤の色づきからはじまる。
野の草花に露が宿るという寒露の候である。
初秋のうらがれた風情が情感をいやでも増してくる、さらしなの鄙である。
この時期は大気が澄みわたるので、燃えるような朝焼けから一日がはじまる。
こういう田園の朝も、田舎暮らしの至福のいっときである。

中秋の名月だというので、姨捨の長楽寺にのぼって月を見た。
「観月」などという風流雅趣はもうじき死ぬ老人にこそふさわしい。

さらしなの里、おばすて山の月見んこと、しきりにすすむる秋風のこころに吹きさわぎて……

芭蕉が「更科紀行」の冒頭に記した風雲の情は、貧困老人にもときに兆すのである。
芭蕉の面影碑がある長楽寺からは、善光寺平(長野市)の夜景がすばらしい。
すぐ上の国鉄篠ノ井線姨捨駅からの眺望は、「日本三大車窓」としてつとに有名である。
目の前の姨捨棚田にはこの観月の時期だけフットライトが点々とつらなり、月夜の散策もできる。
待つうちに雲間から十四夜の月がすがたを見せた。
これが平安のむかしから都人の憧れた「姨捨の月」である。
月見殿にのぼっても、周辺に月見客はちらほら10数人しかいない。
これが過疎の三流観光地の侘しさで、故にすばらしい。観光客でごったがえしたら風流もあるまい。
棚田の畦道に座りこんでじっと月を見ている老夫婦らしき人影があった。
まるで安曇野の双体道祖神のようで印象的だった。老いた夫婦はこうでありたい。

俤や姥ひとりなく月の友 (芭蕉)

家の役に立たなくなった老人が口減らしで山に捨てられるという、捨老伝説の姨捨山である。
かつて全国にあった「楢山節考」の世界である。
現代の姨捨山は「老人介護施設」とか「特養」と名前を変えたが、老人が社会の不要者というエイジズム(老人差別)のマインドはなんら変わらない。

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