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新藤厚 1951年生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始(24年後半より脱出)
秋の彼岸である。
昼夜中分とはいうが、気がつくと随分と夜明けが遅くなり、日暮れがはやくなっている。
隠居老人の目覚めははやい。ときにポール・サイモンのアルバムのタイトルみたいだ。
「水曜の朝、午前3時」。新聞配達より1時間もはやい。
新聞の来るのを待って台所の寂しい灯りの下で紙面をひらくのが、一日のはじまりである。
彼岸の中日、太陽は真東からのぼり真西に沈む。
日が昇るとそれを見て正確な方位が知れる。
散歩をしていて分かるのが、神社仏閣建築のほとんどが真東を向いて建てられているという発見だったりする。
アパートの裏の墓地では、掃苔された墓のわきに真っ赤なヒガンバナが咲いている。
茎にひとつの葉もない奇妙な秋の花である。いかにも有毒そうな毒々しい赤い色である。
この辺りでは曼殊沙華というが、墓地に多いせいか死人花ともいう。
野村秋介さんの獄中句集『銀河蒼茫』(編輯は阿部勉さん)に印象的な秋の句があった。
石廊を出て鰯雲「また秋か」
獄で何度目の秋だったのだろう。この「また」というのは長期囚ならではの深い感慨である。
野村さんは「河野邸焼き討ち事件」で懲役12年を服役した。
「俺は国立千葉大出だからな」とよく冗談をいっていた。もちろん千葉刑務所のことである。
野村さんが朝日新聞社で自決する何年か前、たしか「新潮」の別冊で「近現代の俳句・短歌の100人」というような本が出て野村さんから寄贈された。
その100人の俳人、歌人のなかに野村さんも精選されていた。角川春樹は選からもれた。
「俳人としても名を残しましたね」というと、ちょっと照れたように破顔した。
小生の知る野村さんのいちばん嬉しそうな顔だったかもしれない。
のちに獄中の左翼過激派に俳句熱がひろがったのは、この野村さんの獄中句集の影響である。
そのなかから三菱重工爆破事件のアナキスト・大道寺将司の『棺一基』なども出版された。
相変わらず心身不調である。
前回も書いたが急速に進行するボケ(認知障害)は素直に甘受するしかないとこころを決めた。
後期高齢者とはそういうポンコツの年齢なのである。
過剰な「物忘れ」にも泰然自若を気取り、いちいち動揺しないことにした。
朝起きたら居間の電気もテレビもつけっぱなしだったり、帰宅したら玄関の鍵を閉め忘れていり、またその鍵を遺失したとか。
クルマに乗れば道を間違えたりとか赤信号を見落とすとか……、数えあげればきりがない。
ちなみに認知障害の簡易検査である長谷川式スケールでは30点満点の15点ぐらいである。
例の「100から7を引いて」というあの検査である。この数年、73から先の答えが出なくなった。
医学的には立派な「中等度認知症」なのである。
自分でいうのもなんだがマトモなときもあるので、典型的な「まだらボケ」というやつだろう。
インターネットやSNSには一切近づかないので知らないが、ボケ老人の与太ブログというのはあまりないのではないか。
まあ「ボケ老人」に些少の希少価値もあるとは思えないが、青壮年諸君にはあの二階俊博の最後っ屁を思いだしてご寛恕いただきたい。
「お前だってそういう年になるんだよ、バカヤロ」



