アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第155回「1980年代のディープタウン」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 最近、北千住が何かと注目されている。交通の便は良いし、住みたい街でも上位にランクされ、大学誘致で若者も増え、シャレた店の一方で、昔ながらのレトロも楽しめると、良いとこばかりなのだ。ちなみにこちとら1980年に所帯を持ってから1994年に船橋に越すまでは、足立区の竹ノ塚在住だったので、北千住は東武伊勢崎線に乗って10数分で行けたのでおなじみの街だったね。
竹ノ塚に決めた理由は、当時は23区のなかで家賃が多分一番安かったことと、日比谷線直通の東武伊勢崎線で上野、秋葉原、銀座、霞が関と直通で行けたことだ。しかし80年代当時は、足立区は治安の悪いエリアで有名で、ディープな街並みも多く、同じ日比谷線直通でも気取った東横線方面とはえらい違い。B級グルメライターとしては、東京東部圏との相性がよかったってわけさ。
 さて北千住といえば何十回も通ったのが西口の飲み屋横丁で、ここは今でもディープな店はそれなりにある。当時から続いている店では、関西風串揚げの「天七」やメニューの種類で圧倒される「千住の永見」、宿場町通りにある煮込み豆腐で有名な「大はし」(いつも行列)がおすすめだね。「大はし」では必ず焼酎の梅割りというのを飲む。これはグラスに注がれた焼酎に梅味シロップを少しだけ足らす。なのでほぼ焼酎ストレートと同じなんだが、飲みやすいのでお代わりしてるうちにべろべろになってしまうのだ。この飲み方は、当時の下町酒場には多かった。

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