*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。 新藤厚 1951年生まれ(73歳) 1971年 週刊誌記者 79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS) 84年~99年 「フライデー」記者 99年~2008年 信州で民宿経営 2013年より生活保護開始(24年後半より脱出) 雨空の下、湧きたつ雲霧の合間から青い山がのぞいている。 田植えの終わったばかりの田に、早苗を濡らして降る雨の情感は素晴らしい。 山も里もすべて濡れそぼって、これが入梅の時候ののどやかさである。 どこか森然とした芒種の情緒はまた、豊葦原瑞穂国の安寧をみているようである。 たしか八木重吉に「雨のすることをじっと見ていたい」とかいう詩があったような気がする。 ヒトも自然の一部だから、雨の季節にはこころもいくぶん湿って、感傷的な物思いにふけったりする。 老人もひねもす、うすらぼんやりとしていることの多い季節である。 なんていってたら、数日前からいきなりの盛夏である。 半月前までは朝晩にストーブを焚く日もあったというのに、いきなりの30度越えである。 日本は夏と冬の「二季」になるという言説などトンデモ説と思っていたが、こうなると信じざるを得ない。 暑熱順化の不得手な老体は不調で、ぐったりと横臥する不甲斐なさである。 加齢の仮借なき現実を実感させられた。 初めて、町なかのスーパーの公衆の面前で転倒した。無様にコケた。 なおかつ、なかなか起きあがることがことができず、老人は狼狽した。 数カ月前から宿痾の脊柱管狭窄からくる座骨神経痛の痛みとシビレが頻出し、ちょっと歩くと必ずシビレで歩行困難となっていた。 いつもは近くにあるものに掴って、シビレが治まるのをじっと待つ。だいたい15分もすれば軽減してそのうち消える。 そのときははやくクルマに戻ろうとして、足を引きずりながら懸命に移動したのがいけなかった。 両足の感覚はほとんどないから、どのようにして転倒したのか本人はよく分からない。 気がつくと床に横倒しになっていた。虫の目線で茫然と天井を眺めていた。 なんとか立ち上がろうともがいても、支えの脚力がなく座りこんだまま不恰好にもがくだけである。 近くにいたおばさんが声をかけて店員を呼んでくれたが、本人は焦燥と羞恥でちょっとパニックである。 なんとか男の店員に支えられて通路のベンチまで移動し、座ってシビレの去るのを待つしかなかった。 黒井千次の「老い」シリーズを読んでいると転倒の話がよくでてくるが、小生も恥ずかしながら寓居の室内では何度も転んでいる。 ウソのようだが、本当に畳の縁でつまずくのである。あのたった3ミリに。 山歩きに行けば、まず転ばない日はない。 体幹が衰えているから、ちょっとバランスを崩すと「ああっ」といいながらスローモーションで転倒するしかないのである。 とっさにバランスを戻すレジリエンスの筋力は、サルコペニアだからないに等しい。 それでも公衆の面前での転倒は初めての経験で、面映ゆかった。なぜか屈辱的だった。 そういえば日本人男性の平均健康寿命は、すでに超えているのだった。 こと身体の劣化に関しては、当惑することばかりである。 後期高齢者とは「困惑の世代」なのかもしれない。 数日後、座骨神経痛の主治医である佐久のペインクリニックに駆け込んだ。 実はもう高速道路で運転することができない。 加齢からくる視力低下と視野狭窄が悪化している。風景はぼやけて見えるし、距離の感覚、遠近感が今までと違ってよく分からない。 だから怖くてスピードを出すことができない。 暗いトンネルも入った途端に眼前が真っ暗になるから、急ブレーキを踏んでしまう。 ついでにいうと、駐車場にクルマをまっすぐ止められなくなった。同世代に聞くと半数が同じことをいう。 仕方なく下道をちんたらと2時間もかけての通院である。 そこへいくと先日、恵那山トンネルで逆走事故を起こした99歳には脱帽である。老人からはリスペクトされるだろう。 とにかくこの腰痛とシビレをなんとか改善したくて老人は必死である。 「パンチのきいた強烈なブロック注射をガツンと打ってくれよ」 それこそシビレるようなヤツを。 「いいのがあるんですけどちょっと高いんですよ」 「バカヤロ、貧乏人をバカにするな。いくらでもいいからそれをやれ!」 長年のつきあいだから患者の口も悪い。医者も慣れている。 いつものブロック注射の前に腰部に電気を通電させる療法らしい。 むかしからエレキテルなんて眉唾ものなのに決まっている。分かっていても老人はワラにすがるのである。 今回の注射は、たしかにヒラメ筋にビリビリッときた。 窓口負担1割の後期高齢者医療保険でも3500円も取られた。つまり正価3万5000円の高額治療である。 もっとも小生は身障者1級だから1診療科目につき月500円以上はすべて還付される。 実質、医療費は人工腎臓の特定疾病医療費1万円(これは山岡が厚情で払ってくれている)以外はほとんどかからないのである。 医療費が全額扶助だった生活保護時代とさして変わらないのである。 だから保険証片手に強気である。最近も2カ所の歯医者、口腔外科、整形外科とあちこちの医療機関にかかりまくっている。 憧れだった「福祉健康保険証」とはありがたいものである。水戸黄門の印籠みたいだ。 なんだか北欧の高福祉国家にでも暮らしているようである。 これで治療が奏功すればいうことはないのだが、足は相変わらずシビレるし腰痛も治ってはいない。 症状が多少軽くなったようにも思えるが、多分気のせいだろう。 老人らしく今回は「貧老病死」の病、肉体の劣化について書く。 加齢にともなう健康問題である。 視力低下については前述したとおり。 加齢難聴も悲惨である。 テレビの音量を40まで上げてもよく聞きとれない。 おもしろいのは朝は少しは聞きとれるのだが、時間がたつとまったくダメになる。 それでも聞きとりやすいのはNHKのアナウンサー。なるほど公共放送とは大したものだと感心した。 加齢難聴も初期の頃はいちいち「えっ?」と聞き返していたが、いまはそんなことはしない。 意味不明だろうが、わが耳の勝手な解釈にしたがって家人と会話するのである。 「今日は午後から雨になるらしいよ」といわれて、 「俺もあそこの交差点は危ねえなと思ってたんだよ」 まるで落語だが、慣れてしまうと意味なんて通じなくとも会話は会話である。 大事な話は近くで大声で話してくるから、別になんの痛痒も感じない。 かえって雑音だらけの世間から孤絶しているようで、具合がいいのである。 物忘れや仮性認知にもすっかり慣れてしまった。 前に書いたが、買い物をすると必ず100円多く出してしまう原因不明の奇癖はいまもときどきでる。 固有名詞は基本的に覚えることを諦めている。聞いても絶対にすぐ忘れることが分かっているから。 老人の朝ははやい。スズメよりはやく起きる。 新聞を1時間近くかけて隅々まで読む。 その内容がよく理解できなくなった。脳が委縮したのかロジカルな読解力が失われてきたのである。 これには特効薬があった。喫煙である。 ニコチン酸がドーパミンを活性化させると文字面の意味がやっと理解できるのである。 腎臓内科の医者は「煙草は絶対にやめるように」としつこくいうが、なあに俺様の人生である。 ひとには不健康になる自由もある。 腰痛ベルトをギリギリと巻くと、腰痛もシビレもほとんど出ないから相変わらず山歩きはつづけている。 最近、少し困っているのが山での「道迷い」である。 それでなくとも老人の山歩きはただ漫然と歩いているから、注意力は散漫となる。 過日、近くの五里ヶ峯という里山に出かけた。平日の登山者など一人もいない山だ。 登山口の沢山峠は、鏡台山の登山で何度も行っているからよく知っている。 五里ヶ峯のルートははじめてだったが、ガイドブックをみて地図は頭に入れたつもりになっている。 登山口から軽トラも通れそうな立派な林道が延びている。 老人の目には「至五里ヶ峯」の登山標識もそちらを指しているように見えた。 林道は途中から細いヤブになったりして、ゆるいアップダウンをくり返す。 1時間も歩いたところで、倒木に行く手をふさがれた。 年寄りはそこで「あっ、道が違うな」とやっと気がつくのである。 仕方なく登山口まで引き返す。2時間も歩いて振り出しに戻る。 そこで周囲をよく見渡すともう一本、きれいな登山道があってちゃんと矢印標識が「山頂まで1時間30分」と出ているではないか。 2時間も余分に歩いたからヘロヘロになった登山だった。 それにしてもスタートの登山口での道迷いとは、われながら面妖である。 はっきりいってボケとしか思えない。 その数日後に三峰山という里山に出かけた。 大池キャンプ場が登山口だが、この時期は人っ子一人いない。 最初はよく整備された登山道を登っていく。階段が多くて疲れる。 途中からその登山道が途切れ、赤テープを頼りに鬱蒼とした雑木林の急斜面に入っていく。 登山道らしき踏み跡も判然としないヤブがつづく。ほとんど「バリ山行」である。 遠くに赤テープを見つけるとそちらに向かう。…