筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
いしだあゆみが亡くなって(3月11日。享年76)まず思ったことは、歌謡ポップス(特に女性歌手)の黄金時代があったなあということだね。後々の俳優としての活躍はあとにして、60年代後半から70年代前半にかけての、いしだあゆみに焦点を当ててみよう。大ヒットした『ブルー・ライト・ヨコハマ』をはじめ、『太陽は泣いている』『今日からあなたと』『あなたならどうする』『砂漠のような東京で』とかが思い浮かぶ。同じ頃にヒット曲を放っていたのが、黛ジュン、奥村チヨ、ちあきなおみ、弘田三枝子、小川知子、藤圭子、辺見マリ、青江三奈、由紀さおり、坂本スミ子などなど、いずれも演歌ともフォークとも後のアイドル系とも違う、あの時代ならではの歌謡ポップスだったのだ。
こちとら中学から高校にかけて、教室では「やっぱり黛ジュンが最高だよ」「ハスキーボイスだったら青江三奈だね」「奥村チヨの色気だって」とかなんとか、ビートルズだストーンズだとか言いながらも盛り上がっていたのだ(女子はもっぱらジュリーかショーケンかオックスとかで盛り上がる)。そんななかで、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、ブルーコメッツの『ブルー・シャトウ』(67年)と並んで、鼻歌や口笛でも親しまれていたってわけ。この歌が流れていた69年の春先、東大安田砦落城と大学闘争、東京に大雪、高校受験と卒業式なんて風景が思い浮かぶ。この頃の歌謡ポップスはそんな時代の情景とか思い出に密接に結びついていたのさ。