アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

内部・外部告発、情報求む!

(弁護士などのプロが調査。ただし、公益性あるケースに限る)

<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第137回「桜井浩子と1966年」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 先日、NHKのEテレ『あしたも晴れ!人生レシピ』で桜井浩子を特集していた。あの『ウルトラQ』の毎日新報カメラマン・江戸川由利子、『ウルトラマン』の科学特捜隊のフジ・アキコ隊員を思い出す人も多いだろう。70代後半(1946年生)の今は、円谷プロのコーディネイター、プロデューサーとして活躍している。各地のウルトラマンイベントでは、爺さん(70代)と孫(小学生)が一緒に盛り上がっていたり、桜井浩子は3世代を越えたヒロインなのだ。『ウルトラQ』が放映されたのが1966年1月、終了後の7月から『ウルトラマン』と、1966年はまさに桜井浩子にとって幸運の年だった。番組によれば、桜井は最初、少女雑誌『なかよし』のモデルでデビューし、10代で東宝のニュータレントとして映画、テレビに出るようになる。ただし、これといった主演作もなく端役が多かったようだ。
 そんななかで舞い込んできたのが『ウルトラQ』。主役は、怪獣映画でおなじみ佐原健二扮する星川航空のパイロット万城目淳、西城康彦扮する助手の一平、そして取材者として2人に同行する由利子。3人は常に怪獣の登場など怪事件に翻弄されるのだが、桜井(当時19歳)の存在感が抜群だった。それまでのヒーローに付き従うオジョーサマ的ヒロインではなく、カメラを抱えて走り回るおきゃんなネーチャンというキャラが新しかったのだ(動きもサマになっていた)。評判も上々だったので、続く『ウルトラマン』では、女性で唯一の科特隊員に選ばれて怪獣と対決する最前線で活躍する。こちとら小学6年から中学1年にかけての頃で、まあ少なくともこの世代の男子にとってはあこがれの新時代の「行動するヒロイン」だったといえるね。

この続きを読むには有料購読の登録が必要です。

関連キーワード
検索

カテゴリ一覧