筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
先日、新聞の新刊広告で『ストリップ劇場のある街、あった街~浅草・新宿・船橋・札幌の〈ピンク文化〉とそれを支えた人びと』(早乙女宏美著。寿郎社)というのを見つけた。本はまだ入手していないが、「船橋」というキーワードで一気に記憶が甦った。こちとら中学2年の終わり頃(1968年)に船橋に越して以来、青春時代はずっと船橋だ。
その頃船橋にはストリップ劇場が「大宝」「若松」「淀君」と3つもあって、全国から一流のストリッパーが集まると言われていた。高校時代、「ストリップに行ったぞ」なんて自慢するクラスメートの話を聞くと、「特出しがすごいんだ」とかいうから、「特出しって何だ?」なんてワイワイやってると、女子が「いやらしいわね」なんて軽蔑の目で見てたりとか、そんな光景を思い出す。ちなみに、その3大劇場(最後まで残った「若松劇場」も2013年に閉館)も今はなく、昭和のレトロ文化になってしまった。
その船橋のどの劇場かは忘れたが、日活ロマン・ポルノのロケにも使われた。1974年、神代辰巳監督の『濡れた欲情・特出し21人』という作品で、全国を渡り歩くストリッパーたちのドラマが味わい深かった。ちなみに神代監督は1972年に『一条さゆり・濡れた欲情』というロマン・ポルノ史に残る傑作を手がけ、映画評論家の多くから絶賛され、数々の賞に輝いた。一条さゆりといえば、ストリップ史では欠かせない伝説の女王で、公然わいせつ罪で逮捕されたり、釜ヶ崎で暮らしたり、事故に遭ったり、波瀾万丈の人生を送った。ちなみに映画の主演は、一条さゆりというよりも、破天荒な若手ストリッパーに扮した伊佐山ひろ子が主役で、これがもう絶妙の演技で、たちまちファンになったのさ。