筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
楳図かずおが亡くなった。小学生時代から現在まで、思い入れの深い漫画家ベスト5に入ると思う。名作はたくさんあるけど、最初の出会いは1965年、小学6年生の時、クラスの女子がキャーキャー言って盛り上がっていた『少女フレンド』連載の「ねこ目の少女」であった。当時、少女漫画に描かれている絵柄にしては何ともエグイ怪奇恐怖のおどろおどろしさに男子もびっくり。以降、翌年にかけて「へび少女」「赤んぼ少女」など、こちとらも、少女漫画世界の楳図ワールドにはまり込んでいくのだ。
同じ65年、小学2年以来欠かさず愛読していた『少年マガジン』に、楳図の新連載「半魚人」が始まった。ある実験で半魚人にされてしまう少年の悲劇を描いたものだが、これまた描写がエグかった。特に最終回に完全に半魚人と化した少年の変わり果てた姿はショックだったね。もはや人間の心は喪失したのかと、かつての親友がハーモニカを吹くと、海の中に去ってゆく半魚人が一瞬だけ振り向くところがまた切なかった。
ただの怪奇恐怖漫画と違って、楳図ワールドはこの頃から近代科学への批判や皮肉が込められ、異形なるものの哀しみや友情がきちんと描かれていた。ちなみにこの65年というのは『少年マガジン』にとっては革命的な年で、ちばてつやの『紫電改のタカ』の最終回の痛切な反戦メッセージが話題になり、水木しげるの『墓場の鬼太郎』(もともとは貸本漫画)の連載も始まり、驚きの連続だったのだ。