アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第15回(最終回)「続・お世話になった人たち」

*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。
新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

収穫の終わった田からワラを焼く細い煙が立ち上がっている。
老人はなべて寒露から霜降にかけて風景が末枯れてくるこの季節が好きである。
朝の最低気温が5度を下回るようになったのでストーブを取り出して晩秋の冷気を感じながら長い冬ごもりの準備をしている。
ひねもすラフマニノフなんかを聴きながら寝椅子に横臥して海外ミステリーを読んでいる。
貧困老人の余生も傍目には優雅である。死を待つだけのようなこの無為の時間が愛おしい。
気が向くと山裾の公園の東屋で午睡をしたり、近くの柿の木から渋柿をもいできて皮をむきベランダに吊るして干柿をつくったりしている。

スズメよりもはやく早朝4時には起きて1時間ほど新聞を読む。
老人でも世の中の変容を少しは知っておきたい。
ふと感慨がわくのが訃報欄である。最近も名前を見てむかしの記憶が甦り懐旧の念にひたった。
イラストレーターの山藤章二はかって野村秋介さんら民族派が「風の会」を立ち上げて参院選を戦ったとき、週刊朝日の「ブラックアングル」で「虱の党」と揶揄したことがあった。
もちろん週刊朝日と山藤が「全面降伏」するのだが、そのとき山藤が野村さんに宛てた謝罪文がある。
便箋に筆文字。それが小学生の習字のようなお粗末な字なのである。接写してどこかの記事に書いた記憶がある。
字がヘタならなぜあのイラストの味のある書体で書かなかったのかいまでも不思議に思う。
映画評論家の白井佳夫さんには取材で何度も世話になった。阿佐ヶ谷の自宅も何度か訪ねた。
若い頃、取材の後で「飯を食べに行きましょう」と誘われた。当方は喫茶店のコーヒー代を払うともう素寒貧なのである。そういうと「ご馳走しますよ」とステーキを奢ってくれた。
いつでも親切で優しい人だった。ふり返ると小生はあの頃からいまに至るまで生涯のすべて貧乏だったと思い至る。
高階秀爾さんとも新宿ゴールデン街の安飲み屋で何度か飲んだことがある。元NHK札幌放送局のアナウンサーだった高階夫人が阿部勉さんと親しかった縁である。
面白いおばさんでなぜかふたりで飲んだことが何度かあった。すると高階夫人が小生を誘惑しているのか、亭主の閨房秘話などを開陳するのである。「あの人、ヘンタイなのよ」なんていって。
のちの文化勲章受章の大御所も面目失墜であった。

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