アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第13回「わが悲惨な夏」

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新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

しばらく間があいた。
つくづく老体というのは厄介なものである。
この夏の猛暑を契機に今まで隠れていた老人病がいっぺんに噴き出したような塩梅で夏中ぐったりとしていた。ほとんど死にかけていた。
気がつくと毎朝、頭が重かったり頭痛がするのである。鎮痛剤なんかで胡麻化していてもいつまでも治らない。
そのうち尋常ではない倦怠感で体中のあらゆる組織が重く弛緩したような不調となった。肉体の自律性がすべて失われた感覚である。自分のからだという実感がない。
こうなると何もできない。いちど横になるともう動けない。息をするのも億劫である。
医者の診断は軽度の熱中症だった。知らないうちに脱水や体温上昇などが起きていたらしい。老人の肉体はこの炎暑に耐えきれず変調したのである。
それでなくとも透析患者は厳格な水分制限を強いられているから脱水になりやすい。毎日、経口補水液とビタミンなどを補給しても体力は戻ってこない。
恐らく生涯ではじめて体験する肉体的老いのシビアな実感であった。これをフレイル(虚弱)というのか。
大げさに言えば限りなく死に近づいたのである。死はすぐ隣にあってこの身が親しんだのである。

標高700米の高原盆地でどうしてこんなに暑いのか。
上州と信州の県境、妙義荒船佐久高原国定公園は軽井沢に代表される避暑地のはずだった。
思えば佐久に移住した10数年前まではこの鄙は「エアコンのいらない町」だった。
真夏でも30度を超える日はまれで数日。28度ぐらいになると「今日は暑いな」といっていたのである。それが今年は連日の35度越えである。
この町ではエアコンはまず第一に冬場の暖房用だった。冷房には高原を渡る天然の清涼な風があった。
それが最近の調査では冷房の需要によるエアコンの普及率が3割にまで急上昇している。
この急激な気候変動をみていると人類の寿命も意外と短いとさえ思ってしまう。
異常気象、食糧危機。火星に移住しないとホモサピエンスは生き残れないというイーロン・マスクの妄想を笑えない。
さすがに小生の暮らす貧乏長屋ではエアコンのある部屋は一軒も見かけないが上位階級には生活必需品になりつつあるらしい。それがこの夏の酷暑だった。

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