アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第12回「新人アナ・古舘伊知郎の思い出」

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新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

相変わらず「貧老病死」の暗い話である。
このひと月、尻から膝まで腿の裏側に疼痛が走る。それがひどくなってきた。
いまや老人の大半がかかる脊柱管狭窄症からくる座骨神経痛の痛みである。
何をしても痛い。何もしなくても痛い。ふつうに歩けない。
2年前にもやはり神経痛がひどかった。整形外科に通い腰にブロック注射を5回(約30発)も打ってようやく痛みが消えたのだった。
どうやらそのヤクが切れたらしい。
我慢できずに今回は麻酔科のペインクリニックでブロック注射療法をやった。さすがは専門医で一発で痛みが軽減した。
その術後の経過観察に近くの蓼科山に登ってみた。
様子見の登山といっても一応、日本百名山である。県外の登山者が多く標高も2530米あるそれなりの山である。たしかに病人にしては無謀かもしれない。
実はこの時期の山登りは下界の殺人的酷暑からの避難でもある。
貧乏人はエアコンを持たない。買うカネはない。だから涼しい山に逃避する。
しばらく山歩きを休んでいたせいか最後の急登で腰痛、膝痛が悲惨なことになった。
考えてみれば、すでに平均健康寿命(男性72歳)を過ぎた老人はサルコペニア初期の老体なのである。ポンコツにキツい運動などそうそうできるものではない。
その劣化した肉体との我慢比べ、または騙しあいが老人の登山である。息が切れて気息奄々になる。倒れてそのまま死ぬんじゃないかと思う。
同世代の老人と会うと言葉を交わす。バアサンたちから「格好が若いね」といわれた。
いい年をしてコンプレッションのレギンスに短パンという若者スタイルは山登りが楽だからである。それでなくとも団塊世代は「反権力、口先民主主義、ケチ、若作り」(関川夏生)という奇矯な人種なのである。
山頂の気温は14度。ガスがかかって眺望はないが汗ばんだ肌に吹く涼風の心地よさは何ともいえない。山頂の至福、最高の慰安である。
まわりの登山者の視線は冷たいが、そこで一服する煙草の旨さ。健康第一のナチュラリストには理解されない老人の愉しみである。

この山に来る理由がもうひとつある。
「散骨」に手頃な場所をいろいろと詮索しているのである。その候補のひとつが蓼科山だった。
古来の葬送である散骨はいまや国も追認する一般的な自然埋葬になった。
貧困老人の死後はどうなるのか。例えば小生のケースでシュミレートする。
ある日、生活保護の独居老人がアパートの一室で孤独死する。
発見は早い。なぜなら一日おきの人工透析に無断欠席して連絡がとれなければ直ちに病院から福祉課のケースワーカーに連絡が行くことになっているからである。
孤独な貧困老人には身元引受人などはいないから遺体は福祉課が荼毘にふして遺骨にまでしてくれる。
面倒をかけるケースワーカーには「すまないが君らの仕事だからよろしくね」とよく頼んである。
その遺骨は息子が引き取ることになる。もちろん葬式などはない。入る墓もない。息子には遺骨は「Hに渡せ」とよく言い聞かせてある。
Hとはよく一緒に山登りにも行った地元の年少の友人である。その友人が小生の指定する場所にこっそりと散骨してくれるという段取りになっている。
その友人には散骨のための「鎮魂登山」を依頼してすでに承諾を得ている。
小生は今村昌平の映画「復讐するは我にあり」のラストシーンをイメージしている。

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