アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第11回「不良記者の悔悟録」

*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。
新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

残りの人生があと1年余りと知ったときに人はどう生きるのか。
死と向きあったときに余生の生きざまみたいなものはあるのか。
いまのところ、その答えは「過去に帰ろうとする傾向」があることに気がついただけである。
昨日からつづく老人の平凡な日常が今日もまた淡々とつづく。ただ、心の向きは少しづつ変わってきたような気がする。それがノスタルジックな日々である。
この「貧老病死」の終活ブログは老人の晩年の実証実験のつもりではじめたのだった。
ただ新奇の発見も瞠目する知見もあるわけではない。だから何の役にも立たない。
当然といえば当然である。冴えない人生は死ぬまで冴えないのである。人は死ぬまでその人なのだから。

相変わらず貧しい。
一日100円の食費も早々に使い果たして毎日ふりかけ飯か、即席ラーメンにレトルトカレーをかけたカレーラーメンというのが常食である(ちなみに一日二食)。
米やそれらの食材は共産党やフードバンクなどから貰ったストックが常にあるのだ。
飯を喰っていると、ときどき涙がとまらなくなるときがある。
哀しいのではない。懐かしいのである。
もう60年近く前に小岩の畳屋の二階に下宿していたときの食い物がいまと全く同じだった。
あの頃もカネがなかったなあ、と老人は青少年期への郷愁に涙するのである。
ちょっとした贅沢がスーパーで買った198円の弁当である。4個ぐらいまとめて買って冷凍しておく。それを週に一回、解凍して喰らうのである。
たしかに侘しい贅沢ではある。
月に何回か吉野家で牛丼を喰えた時代も今は昔である。一度行ってみたかったクルクル回る寿司屋というのは見果てぬ夢である。

どうしてそんなにカネがないのか。
新たな支出が発生したからである。
もう12年も同棲している20歳という長寿の老犬がいる。生家の家族をのぞくとこんなに長く一緒に暮らした相手は生涯でこのワン公だけである。
先の飼い主が元ヤクザ者のやはり生活保護老人だった。その年寄りが末期ガンで入院するときに知人から頼まれて引き受けたのがこの保護犬だった。
人間でいえばもう100歳ぐらいだろう。半年ほど前から目が見えなくなり耳も聞こえなくなった。それまでは毎日朝晩、散歩に出して糞尿の排出をさせていたが、数カ月前からかそれが垂れ流しになった。
いまはオシメをつけている。そのオシメ代がバカにならない。
ドックフードと合わせると人間の食費の倍もかかるのである。老々介護もカネがかかる。

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