●現存する建物を取り壊し、虚偽の建物滅失登記を行う? 武井保雄・武富士前会長について、とんでもない疑惑が明らかになった。 武井が代表取締役だった1986年から90年ごろにかけ、武富士は京都駅前の崇仁地区で地上げを行った。 その際、同地区は「同和地区」だったことから、武富士は同地区の出身である「崇仁協議会」という任意団体を率いていた藤井鉄雄氏に地上げを依頼。だが、地上げが予定通り進まなかったことから、武井は藤井氏に断り無く、山口組の企業舎弟に地上げの委任を変更。この結果、崇仁・山口組間で抗争が発生、崇仁側の3名が射殺されることになる。 さて、疑惑が出ているのは、この京都駅前の地上げをしていた崇仁地区の一画の4つの建物(上記地図参照のこと。赤で囲んだ4つの四角部分が問題の建物があった箇所。「申出書」表紙も)。 97年1月、武富士は京都地方法務局下京出張所(現在は閉鎖)に必要書類を提出し、この4つの建物の滅失登記を行っている。ところが、実際には当時、まだ建物は現存しており、それにも拘わらず武富士側は不法にその建物を取り壊し、登記した疑惑だ。 情報提供者によれば、この不法登記をするに当たり、委任した土地家屋調査士、それに法務局の担当者を金銭によって手なずけていたに違いないという。法務局に提出された「建物調査書」や「上申書」などに書かれていることは虚偽だったというわけだ。 この疑惑の信ぴょう性が高いのは、法務局に保管されたこの関連書類のなかに、法務局側が作成したと思われる「経過」を記した文書があるのだが、そこに、2月4日(97年)、「西村管理官から『申請に同意はできない。処理は登記官に任せる』電話あり」との記述がある事実(左コピー参照のこと)。 この西村管理官とは、大蔵省近畿財務局京都財務事務所の国有財産管理官(当時)。問題の建物、そもそもは旧大蔵省が所有しており、その後、前出・藤井氏が武富士の地上げのために設立した「サンセイハウス」なる会社が買収し、その後も、旧大蔵省が賃借していた。その借り主が「同意はできない」といっているのだ。また、武富士側は「上申書」において、問題の建物は89年5月には取り壊されたと主張している。しかし、少なくとも91年1月20日にその一帯を撮影した写真が存在し、そこには取り壊れたはずの建物が写ってもいるのだ。 ●動機は、武富士の東証1部上場を確実にクリアするため? では、この「公正証書原本不実記載等」が事実として、なぜ、武井はそこまでして虚偽の滅失登記をする必要があったのだろうか。 武富士は96年8月に店頭公開、そして98年12月に東証1部に上場している。 その東証1部上場をクリアする上で、この京都駅前の地上げはうまくいかず、塩づけ状態になっていたが、店頭公開時以上に財務を健全に見せる必要があり、この京都の地上げ地の資産価値を上げる必要があったためとの指摘がある。 「そこで、地上げが進んで、いつでも転売できる更地の状態に見せかける必要があった。それなのに、古い建物が現存しているのでは問題外。ところが、正式な手続きを踏んで滅失登記しようにも、その建物を貸していたことになっていたサンセイハウスの代表だった藤井氏と武富士は完全な敵対関係になっていてできない。また、実際に建物を使用していた住民も藤井氏との関係が深かった。そこで、違法手段に出たとしか思えない」(事情通) なお、たとえ「公正証書原本不実記載等」(刑法157条)に抵触するとしても、その最高懲役は5年であることから、すでに公訴時効(刑事訴訟法250条5「長期十年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については五年」)の5年間を過ぎている。したがって、刑事罰に問うことは出来ない。 だが、武井という人物は、平気でこのように法を犯し得る人物ということで、いまさらながらではあるが、問題提起しておく。…