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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第123回「今年はビートルズが世界的にブレイクして60年!」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

今年はビートルズが世界的にブレイクして60年だという。前にビートルズ来日(66年)を取り上げたことがあったけど、ラジオの洋楽ヒットパレード番組で、毎週のようにビートルズが登場したのが64年だったのである。
こちとらも小学5年生だったがラジオで聴いていた。「プリーズ・プリーズ・ミー」「抱きしめたい」「シー・ラブズ・ユー」などがリクエストで上位を独占してびっくりしたっけ。
最近発売された『レコードコレクターズ増刊 ビートルズ1964』のなかで、当時のスポーツ紙や週刊誌がビートルズ旋風をどのように報道したかを振り返った面白い記事がある。タイトルも「オカッパ頭の男性コーラス」とか「アメリカ娘の心をかきむしる4匹のカブト虫」とか珍妙な表現が多い。当時のビートルズのヘアースタイルは、まだ長髪というより、前髪を下げたオカッパ風だが、日本では珍しくて「キノコ頭」とか「西洋ぞうきん」とか書かれて、ひんしゅくものだったようだ。この頃の若い男の髪型といったら、スポーツ刈りか、七三のきっちり横分け(整髪料必須)だったから、オカッパ頭は異端も異端だったのだ。
この年の夏に封切られた映画『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(リチャード・レスター監督 翌年に『HELP!四人はアイドル』も手がけた)は大ヒットして、館内はファンの女子中高生で歓声の嵐だったという。そんなか、誕生したのが伝説のグループ「東京ビートルズ」なのである。
その名の通り、ビートルズ人気に便乗して結成された4人組のバンドで、ビートルズのヒット曲を日本語でカバー。一時は、テレビのヒットパレード番組なんかに登場していたが、コピーバンドの宿命なのか、のちのグループサウンズの大流行のなかでいつしか消えてしまった。
数十年を経て、これを再評価して発掘したのが、あの大瀧詠一と高田文夫だった。二人のおしゃべりと「東京ビートルズ」の音源が入っているユーチューブを聴いてみると、これが面白い。高田文夫はビートルズの東京公演は当然観ているのだが、その2年前の64年に、東京ビートルズの公演を生で観たというのだ(会場は築地にあった映画館の松竹セントラル)。そして「ツイスト・アンド・シャウト」を紹介、この日本語の訳詞がもう圧倒される中身で二人は大盛り上がり。

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