アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第6回「されど、透析患者の大変な生活」

*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。
新藤厚 1951生まれ(73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

立夏皐月、新緑の山がすばらしい。
新鮮な芽吹きの黄緑色が次第に濃さを増し緑色に変化していくさまに森林の息吹を感じる。
フィトンチットを全身にあびてその森の小径をとぼとぼと歩くには絶好の季節である。
間もなくヤマツツジやミツバツツジの深紅がそこに豪奢ないろどりを添えるはずだ。
この2年余り、週に3回透析日の午前に町はずれにある平尾山という里山を歩いている。去年は140回歩いた。
標高1155米。登山口から山頂までの標高差約300米。老人の足で約1時間。
戦時中、近所に疎開していた佐藤春夫が格調あるいい山だと書き残している。
手頃な山だから毎日のように登る人が20人近くいる。ほとんどが後期高齢者の老人ばかりである。だから口の悪い地元の人間は姥捨山と呼んでいる。
身障者1級の老人がなんとか健康寿命(他人の手を借りずに日常生活が送れる)を維持しているのはルーチンとなったこのプチ登山のおかげである。
「終活ブログ」は畢竟、生老病死に尽きる。
カネのないのは貧乏だがそこに病気が加わると貧困になるという。
自慢ではないが貧困である。今回は病気の話を書く。

以前は日常生活に安静をもとめられた人工透析患者だが現在の医学では適度な運動が推奨されている。
小生の透析日は火木土の午後。生徒(患者)20余名のクラス。2時から6時まで4時間、ベッドに横臥して毒素の溜まった全身の血液を機械で濾過し余分な水分を除水する。
わがキドニービーンズ(腎臓)はとっくに機能を停止しているから一切尿をつくれない。小便など1年前から一滴も出ない。
健常者は毎日2リットル(2キロ)もの排尿をして毒素を排出する。無尿の透析患者はその余分な水分が浮腫となる。下肢や顔面などがぱんぱんにむくむ。毒素とともにその水分を機械で抜くのが人工透析である。
透析患者の生活の要諦はまず第一に水分制限にある。水分摂取をコントロールして体重を自己管理しなくてはならない。
小生の場合、医者に厳命された一日の水分摂取量は600ml+排尿+発汗である。小便は出ないから、それほど汗をかかなければ悲しくなるほど少量である。
600ミリなんて高々ペットボトル1本である。朝食にヤクルト、野菜ジュースに好きなコーヒーを2杯飲んだらもうすでに制限オーバーなのである。
それに缶チューハイか缶ビール1本(350ml)のささやかな晩酌も老人の意地でつづけている。
もちろんラーメンのスープなんて論外。味噌汁も原則禁止。水分だけではなくしょっぱいものを摂るとそのあと喉が渇いて水を飲みたくなる。それが地獄の苦しみである。
よく冷えた谷川の清冽な水をごくごくと飲んでみたい、というのは見果てぬ夢である。現実は口を潤した水は吐き出し、しょっちゅう氷をなめている。
実は透析患者に求められているのはストイックなまでの肉体の自己管理なのである。実際守れる患者は少ない。だからわがクラスでも3年で3人の同級生が逝った。

なお、山岡の求めに応じ、いつも後半ではマスコミにいた際のこぼれ話を披露していたが、今回は透析患者の苦労話を最後まで続ける。見ようによっては、水分制限はじめ実に大変なだけに、書くことも多いのだ。今回に限り、お許しいただきたい。

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