筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
聞いた話だと、明治大学の立て看同好会というサークルが学園祭で「自由な大学を取り戻そう」と記した立て看を掲示したところ、大学側に撤去され、学生が処分されたという。そして雑誌『情況』最新号には、「すべての大学に立て看板を」と題した「大学立て看同好会」(6つの大学にあるらしい)の座談会が掲載されていて、これがなかなか面白い。
この同好会は、政治運動というよりは表現行為としての立て看の普及を目指しているようで、ユニークなデザインなどいろいろと工夫が凝らされている。それにしても立て看くらいで処分されるなんてひどい話だな。
その昔、こちとらの学生時代は、立て看はキャンパスの花であった。それこそ政治的主張から文化イベントまで、立て看はほとんどの大学で許可なくいたるところに勝手に立てていたのだ。
立て看の基本は、180センチ×90センチくらいのベニヤを3~4枚並べて角材を打ち付け、一つの看板にして設置する。それをさらに縦にして4~5セット並べる巨大立て看もあったね。ベニヤ板には洗濯ノリをべたべた縫って、そこに模造紙をたるまないように張って、乾いたら刷毛で文字を書く。ポスターカラーや墨汁を使うのだが、ここは修業が必要で、特に学生運動関係だと、いかにもゲバ文字風にカッコよく決められるかどうかで勝負が決まる。これが下手な字だと「素人だな」なんてあなどられる。そしてもう一つ、修業だったのがガリ版印刷の「ガリ切り」なのだ。