アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<12年ぶりの復活連載>元「フライデー」名物記者・新藤厚(右翼)の貧困記(生活保護老人のノスタルジックな日々)第1回「桐島聡のニュースを聞いて」

*以前の記事はこちらをご覧下さい(ココをクリック)。
新藤厚 1951生まれ(来月で73歳)
1971年 週刊誌記者
79年~84年 テレビレポーター (テレビ朝日・TBS)
84年~99年 「フライデー」記者
99年~2008年 信州で民宿経営
2013年より生活保護開始

一日の食費100円、月に3000円。この数年、バカバカしいほど無謀な家計で暮らしている。

貧相で悲惨な食生活はひとつの意志的な実験生活でもある。買うのは食パン、納豆、モヤシ、ヤクルト、ふりかけ、ときに鶏ムネぐらいか。あとはすべて貰い物である。月に1回、地元共産党の炊き出しに行くと米、野菜などが貰える。フードバンクからパスタやレトルト食品を貰う。SNSで呼びかけると支援者から袋麺、鯖缶、珈琲、菓子などが送られてくる。その半数は匿名の厚情。たまにコンビニの廃棄弁当などもこっそり貰う。帰宅するとアパートのドアに野菜の袋が吊るしてあったりもする。つくづくありがたいことである。

それでも年に数回か吉野家の牛丼なんかを喰うと旨さに涙がでる。くるくる回る寿司屋というのにも死ぬまでにいちど入ってみたい。恥ずかしながら古稀を過ぎても下品な食欲がなくならない。お里が知れるというやつだ。

腎不全で通っている医者からは毎回、蛋白摂取が少ないと叱責される。栄養不良。そのうち小生も「切れる老人」に変貌して「バカヤロ。貧乏だから肉が買えないんだ。キサマには惻隠の情がないのか」と怒鳴る。15年のつきあいの医者だが最近はちょっと険悪な関係である。(横左側写真データ元は国税庁。2021年「民間給与実態統計調査」。1年通して勤務した給与所得者5270万人対象)

生活保護を利用するようになって10数年たつ。ナマポ暮らしもすっかり馴染んだ。実は貧乏という(必然的な)シンプルライフが結構気に入っている。ハピネスと物欲はトレードオフだというから貧乏人は仕合せなのかもしれない。石牟礼道子は「貧乏とは気位の高さ」といっていた。

以前に「老後2000万円問題」というのがあった。そのときに小生はブログで「老後はナマポで」と提言してさんざん嘲弄された。キャッチコピーは「老後は生活保護で明るく楽しく」である。何のことはない、わが貧困生活を喧伝したのである。

中卒で生涯非正規の勤労に甘んじた身には老後は月6万円の国民年金しかない。こんな田舎でもお上のきめた独居老人のナショナルミニマム最低生活費は9万3千円であるから3万円ほど足りない。その不足分を補填するのが憲法25条の生存権という国家システムである。

運動の趣旨はその利用率を先進国並みに引き上げることにあった。相対的貧困率16%の国で生活保護率が1.6%のはずはないだろう。もちろん生活保護バッシングだとか自己責任などという戯言、レイシズムは論外である。

まあ一日100円の食費ではひもじさに泣くこともあるが、それよりも富貴を拒んでみすぼらしさを気取りたいのである。世間では貧乏自慢とも落?趣味ともいう。その悲しくも惨めな実態は今後おいおい記していく。

いきなり山岡にたのみこんで「貧困記」という生活保護のリアルを書かせてもらうのは煙草銭稼ぎである。ドクターストップで10数年前にやめた喫煙習慣だが余生が数年になったので復活することにした。ひとには不健康になる自由もある。ニコチン依存はやっぱりいい。例えば晩秋の夕暮れ、老人が公園のベンチでひとり座っていても手に煙草がなければ絵にならない。団塊世代はスタイリストにできている。ただし知らぬ間に煙草の値段が3倍に急騰していた。どこかで煙草銭を捻出しなければならない。それが唯一の動機である。

山岡の注文は「多少時事的な話題も織りまぜて」だったが、老人は時事を論ぜず、である。できるのは昔ばなしだけだ。

ゆうべテレビをみていたら古い友人の門脇護(門田隆将)が50年前の東アジア反日武装戦線の連続企業爆破事件を語っていた。

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