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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第116回「日比谷野音の100年」

 

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 日比谷野外音楽堂が100年を迎え、今年の10月からは改装でしばらく使用できなくなるらしい。野音といえば伝説的なコンサートや集会・デモ関係でもドラマがたくさんあって、こちとらも高校生の頃からジジイの今まで何かと行きつけの店みたいな存在だよ。
 こないだニュース番組で特集をやっていたけど、たとえば1984年の8月、「アトミックカフェ」という反核をテーマのコンサートで、あの尾崎豊が7メートルもある照明設備から飛び降りて足を骨折しながら歌い続けた映像が流れていた。それからキャロルの解散コンサート(75年4月)では、爆竹の火が舞台にあった発泡スチロールに燃え移り炎のなかで演奏するシーンも凄かった。キャンディーズが歴史的な解散宣言をしたコンサート(77年7月)も野音だ。ちなみに前回取り上げた八代亜紀とトラック野郎のコンサート(77年夏)も野音だった。
 高校~浪人時代の頃に時々行ったのが、「10円コンサート」とか「99円コンサート」とか銘打ったロックやフォークのフェスで、それなりに大物が登場していた。面白かったのは、マリファナ解放戦線という黒ヘルグループがステージの上で気に食わないバンドと乱闘になったり、日本ボンド党という変な連中が壇上で演説してボンドやシンナー吸ったりハプニングも続出。こういうのは100年史でも無視されているかもね。それと全共闘と70年安保の季節、野音はロックフェス以上にフィーバーした場所だったのだ。

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