筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
先日、名画座で『非行少女』(1963年日活。浦山桐郎監督。和泉雅子、浜田光夫主演)を再見した。最初に観たのが、どこかの名画座で50年くらい前なので、ほとんど覚えていなかったけど、まだ15歳の和泉雅子が絶妙で、若き頃の広末涼子によく似ているんだ。浦山監督は、前作の『キューポラのある街』(62年)で、吉永小百合を大スターにした。和泉雅子も吉永と同じく、10代のアイドル女優だったが、『非行少女』の演技が高く評価されたのだった。
あらためて感心したのは、ありがちなアイドル青春ものではなく、差別や貧困の社会問題に切り込み、和泉雅子も体当たりの熱演。おまけに1950年代の内灘闘争(米軍試射阻止の闘い。映画では地名は伏せられてているが、闘争のニュースフィルムが流れる)の傷跡も描かれ、さらに能登半島から金沢駅など63年当時の風景も懐かしい。
さて和泉雅子といえば、後々、北極探検(日本の女性で北極点到達は初めて。世界でも女性は二人目)の冒険家としておなじみだが、アイドル女優として大活躍していたことは、それほど話題にならない。1960年代では、吉永小百合、松原智恵子と「日活三人娘」と呼ばれて、お姉さん的存在の浅丘ルリ子、芦川いずみを加えて、日活を代表する女優5人衆でもあったのだ。歌も山内賢と『二人の銀座』(映画もあり)なんて、いかにも60年代カップルのデートシーンって感じで、そんなにうまくはないけど、和泉の歌もなかなか良い。