筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。
脚本家の山田太一が亡くなった。すぐに思い出すのは大体『岸辺のアルバム』とか『ふぞろいの林檎たち』だろう。いずれもテレビドラマ史上に輝く傑作で全編観たけど、1970年代からの膨大な作品群のなかで忘れられない1本がある。1982年の夏に放映された単発のワイドドラマ『終りに見た街』(原作小説も山田太一)である。
ある家族が突然、1944年にタイムスリップしてしまう。戦時下に当局に睨まれたり、人々に助けられたり必死で生き抜くさまがリアルで、サバイバルドラマとしても面白かったが、衝撃だったのはラストだ。テレビドラマだから最後は無事に現代に戻ってハッピーエンドになるかと思いきや、戻った先は何と核戦争後の東京だった。一面焼け野原で遠くに東京タワーの残骸が見える。息も絶え絶えの男に、「今は何年なんですか?」と聞くと、何か言いかけて死んでしまう。戦争の時代と今に起こるかも知れない未来をつないだ秀逸な構成で、お涙ちょうだい的反戦ドラマを吹っ飛ばす山田太一の脚本はお見事だった。
もう一つ、NHKの連続ドラマで放映された『シャツの店』(1986年)も忘れ難い。主役は鶴田浩二(これが遺作となり翌年に亡くなる)で、なんと下町でオーダーのシャツをつくるベテラン職人の役。頑固で融通が利かない昔気質の親父で、女房(八千草薫が好演)が愛想をつかして出て行ってしまう。あの鶴田浩二にしては珍しいホームドラマで、ダサいダメ親父というのが新鮮だったのだ。