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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第108回「山口淑子は偉大なり!」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 パレスチナが大変なことになっている中で、思い出したことがある。
半世紀も前の1972年の秋、こちとら19歳の自宅浪人だった頃の話だ。高校時代の先輩の誘いでパレスチナ支援のコンサートを手伝ってくれって話で、受付の補助みたいなことをやった。コンサートの中身は、山下洋輔のピアノに暗黒舞踏のパフォーマンス、パレスチナの映像だった。
 その年のミュンヘン五輪ではパレスチナの武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団を人質にとったり、何かと騒然とした状況のなかでのイベントだったわけだ。参加者の中に派手なセレブマダムみたいなのがいて、それが山口淑子だった。
 戦前・戦中は「李香蘭(リー・シャンラン)の名で中国でスターとして活躍、戦後は軍事裁判にかけられたが日本人であることが証明されて国外追放。その後は映画界でも活躍。アメリカでもチャップリンやジェームス・ディーンとも交遊した伝説のスターである。この頃はテレビ「三時のあなた」の司会者としておなじみだった。
その山口淑子が自分の目の前で何と1万円(ピン札の千円札を10枚!)を「これカンパね」と払ったのでまたびっくり。よく行った日通の引っ越しバイトが日払いで2千円、町中華でラーメン100円の時代だ。今なら5万円くらいになるか。実は山口淑子は、パレスチナ問題には深い関心があったのだ。そして1974年には参院選に自民党から立候補して当選した。山口淑子は単なる人寄せパンダだったのか。

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