アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第101回「頭脳警察に出会った頃」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 PANTAが亡くなって茫然。2年前だったか『頭脳警察』のドキュメンタリー映画を紹介する記事でインタビューしたことがある。すっかりジーサンになったけど、しゃべりだすと半世紀前の頭脳警察のノリが戻ってくるようで、とても楽しく気さくな人であった。話がすぐに打ち解けたのも、こちとらが高校時代に三里塚幻野祭に行って頭脳警察のステージに初めて遭遇した話から切り出したので、「おお、あんときいたの!」とご満悦。
あの頃、日本のハードロックが結構ブレイクしていて、そのなかでも頭脳警察は徹底的に反体制で過激だった。三里塚幻野祭というのも、第2次強制代執行が迫る緊迫した状況のなか、青年行動隊が中心になって企画されたもので、諸党派は無視、参加したのはノンセクトやロックコンサートに来るような連中で、パフォーマンス集団(当時は「ハプニング集団」と呼ばれていた)のゼロ次元がステージ上で10人くらいが全裸になったり、当時は日活ニューアクションで主役を張っていた原田芳雄が一人街頭演劇を披露したり、ハチャメチャな祭りだったのだ。
 次に頭脳警察をみたのは、その年の暮れ、あの大女優ジェーン・フォンダがドナルド・サザーランド(当時『MASH』の主役で人気)と組んでFTAという反戦兵士のためのミュージカルを立ち上げ、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の招きで、東京体育館で公演。そのときに前座で登場したのが頭脳警察だったのだ。いやあ頭脳警察の演奏もよかったけど、終わってから楽屋裏で待っていてジェーン・フォンダと握手しちゃったのも一生の思い出だね。

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