アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第92回「テレビ情報誌が輝いていた頃」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 『週刊ザテレビジョン』(KADOKAWA)が休刊した(3月1日号)。1982年に創刊して以来、テレビ情報誌としては老舗の『週刊TVガイド』(62年創刊)と並ぶメジャーな雑誌だったけど、休刊のニュースはあまり話題にならなかったな。ちなみに、週刊誌の大御所『週刊朝日』の休刊決定(6月)も、それほど話題にもなってない。もう週刊誌がなくなっても、50代から下の世代は気にもとめないだろう。時代は変わったのだ。
かつてテレビ情報誌が群雄割拠した1980年代は、『週刊TVガイド』『週刊ザテレビジョン』『TVステーション』『週刊テレビ番組』『TVぴあ』『テレパル』『テレビブロス』などと、大変な賑わいだった。ビデオが普及しだして、みんなテレビ情報誌の番組表を見ながら、予約録画に忙しかったのだ。
 実は1980~81年にかけて、就職した編集・校正プロダクションで1年近く、週に3日間『週刊TVガイド』の校正を担当していた。編集部で校正している時、当時、編集部員だった泉麻人がいた(あとになって分かった)。編集部で1日校正してあとの2日間は大日本印刷まで出向いて、校正室で仕事をする。ここでは夕食(お重に入った弁当)が出るんだけど、これが異常に不味かった。どうすればこんなに不味くできるのだと不思議なくらいで、その不味い記憶は今でも鮮明だ。

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