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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第90回「ブルース・リーと丹波哲郎の1973年」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今から50年前の1973年。こちとら20歳になる年で大学にも入学し、さあこれから青春だ~と思ったら実際はさえない日々で、バイトに明け暮れ映画ばかり観ていたのだった。
この年の映画を語る上で忘れちゃいけないのが、何といっても『仁義なき戦い』だ。翌年の1月にかけて1年間で何と4本も作られる大ヒット作になる。それとこの年の暮れに封切られた『燃えよドラゴン』。翌年にかけてブルース・リー(李小龍)が大ブレイク、あの独特な怪鳥の鳴き声のような「アチョ~」とカンフーのスタイルは大流行。これって『おそ松くん』に登場するイヤミの「シェー」に匹敵するかも。
 NHKの『映像の世紀バタフライエフェクト』でもブルース・リーを取り上げていたけど、印象に残ったのは、棺のそばにジェームズ・コバーンとスティーブ・マックイーンがいるのが映っていたこと。それと2019年の香港叛乱のなかで、「水のように」が合言葉になったこと。水のように変幻自在、柔軟に闘おうという意味なんだが、そもそもはブルース・リーの言葉だった。
 映画自体は、その主演作も大味な中身でカンフー場面くらいが見せ場なんだけど、もうそれだけで上等ってわけだよ。一方、この年の日本映画を代表した俳優は誰かというと、『仁義~』の菅原文太や松方弘樹、小林旭とか、『男はつらいよ』シリーズの国民的大ヒットで渥美清あたりが出てくるだろうけど、わしはこの年のイチ押しはやっぱり丹波哲郎だろと言いたいね。

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