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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第89回「渋谷の顔クロニクル」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 渋谷の東急本店が閉店だというので、ニュースで盛んに取り上げられていた。「渋谷の顔」が亡くなるとか言ってたけど、渋谷区生まれ(代々木上原)のこちとらにすれば、「渋谷の顔」はもっとあるだろうと言いたいね。今の東急本店のあたりは、渋谷の端っこのほうで、昔は小学校があって、109から東急本店に向かう通りの辺り閑散としてた。
そもそも渋谷の顔といえば、すでに消えたものだとまず渋谷駅を挟んで新館と旧館に分かれる東急東横店だ(初代モスラも派手に壊したよ)。あれがハチ公前に建ってこそ渋谷なのだ。それから今のヒカリエの場所にあった東急文化会館。プラネタリウムと千人以上入るビッグな映画館パンテオンで有名だ。今のシネコンにはない巨大劇場の醍醐味、名前もかっこいい。
 その向かいにあった東急東横線の渋谷駅ホームも渋谷の顔だった。今は地下の底で行くのもめんどうくさい。さらに異様な感じのショッピングモールと化してしまった宮下公園。かつてはデモの出発地点であり、野宿者のテントも並んでいた。オシャレな街とディープな解放区が一緒だったところが渋谷の良いところなのだ。
 一方で健在なのが、道玄坂からラブホエリアにつながる百軒店界隈の細道、カレーの「ムルギー」とか昔ながらの店も相変わらずで、井の頭線渋谷駅の近くの横丁では焼き鳥の「鳥竹」とかも残っている。再開発もどんどん進む今、ここはひとつ知られざる昭和の渋谷を後世に伝えておかなくちゃね。

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