アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

内部・外部告発、情報求む!

(弁護士などのプロが調査。ただし、公益性あるケースに限る)

<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第87回「矢崎泰久と『話の特集』」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 1月1日の新聞で矢崎泰久が亡くなった記事が載っていた。12月30日、急性白血病のため、東京都杉並区の自宅で死去したとのこと。享年89。
矢崎泰久(1933年生)は、『話の特集』の編集長として知る人ぞ知るだが、文化人が中心の「革新自由連合」をつくり(1977年)、中山千夏が国会議員になった時(80年)には、公設秘書としても活躍。いろんな場面で、顔を見ることも多かったが、実は、『話の特集』に書いた原稿(1993年。400字で30枚くらい。「名画座特集」の時だ)のギャラが未払い!のままなのだ。
その昔、70~80年代にかけて、『話の特集』は毎月必ず読む雑誌の一つだった。いわゆるミニコミスタイルから始まったリトルマガジンで、『面白半分』『噂の真相』『本の雑誌』『ビックリハウス』なんかのスタイルに近い。反権力・反権威だが、政治的主張というよりはカルチャー。和田誠や横尾忠則や篠山紀信のアートから、永六輔、五木寛之、野坂昭如、井上ひさし、色川武大、伊丹十三、中山千夏、筑紫哲也といった著名な作家たちが執筆し、20代の頃は、こんな雑誌に関わることが夢だったくらい、あこがれだったわけさ。
 26歳だったか失業中に「編集部員募集」の広告を見て応募したら、なんと1人とるのに400人近くの応募があって、書類選考で落ちちゃった。それから20数年を経て、あるテーマで執筆依頼があった。ただし、経営も危ういとかいって原稿料も何と400字で千円!だという。「あの『話の特集』が千円!」と脱力したけど引き受けたよ。青春時代の夢の雑誌だもん。

この続きを読むには有料購読の登録が必要です。

関連キーワード
検索

カテゴリ一覧