アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第83回「深夜放送とヒットパレード」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 こないだNHKテレビで往年の深夜放送の特集をやっていたので収録して観たところ、特にスポットライトが当たっていたのがニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティでもあり後に社長にまでなる「カメ」こと亀渕昭信だった。こちとらの高校時代は、「オールナイトニッポン」とTBS「パックインミュージック」の全盛時代で、文化放送の「セイ・ヤング」が追っていた。カメは当時「オールナイト~」の金曜深夜担当だったかで、曜日ごとに異なるパーソナリティのなかでは、洋楽の知識豊富、しゃべりも軽快で、人気抜群だった。1970年当時、ほかの曜日の「アンコウ」こと斎藤安弘と組んで「カメ&アンコウ」でコミックソングを出したりして、これがまた面白かったのだ。
 カメはその後、30代で「オールナイト~」の総合プロデューサーに出世して、「あのねのね」とか笑福亭鶴光などを積極的に起用、特に鶴光のエロトークは各方面から大顰蹙を買うんだが、カメの方針は面白ければいいじゃんと、その路線は、80年代のビートたけしの爆発トークへと受け継がれた成功したのだった。ちなみにカメは、アルバイト時代に高崎一郎がディスクジョッキーをやっていた「キャンディ ベスト・ヒットパレード」を担当していたという。「キャンディ」とはスポンサーの森永キャンディストアのことで、実はこの番組、洋楽ポップスに目覚めた小学4年(63年)頃から毎週聴いていたっけ。60年代はラジオの洋楽ヒットパレード黄金時代だったのだ。

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