アクセスジャーナル記者 山岡俊介の取材メモ

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<復活!!>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第82回「1960年代のドリフターズ」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 仲本工事の突然の事故死はショックだった。実は、同じ中学(渋谷区の鉢山中学)の大先輩にあたり、体操が得意だったことなど、ちらほら聞いたことがあるよ。さてドリフといえば、TBSの「8時だヨ!全員集合」(1969~85年)がおなじみだけど、もっと古い、初期のドリフターズの思い出があるのだ。
最初の記憶はテレビの「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」(62~65年)。これは「スター誕生」みたいなオーディション番組で、司会が鈴木やすしと木の実ナナ。ドリフターズはレギュラーでバックバンドの担当。特にコントをやるわけでもないのだが、ドラムの加藤茶(結構うまいのだ)が、時々オチャラケのポーズやおどけてみせたり、なんだか変なバンドだなあという印象だった。クレイジーキャッツと同様に、もともとはプロのバンドマンって流れだろう。といっても当時のクレイジーほど超メジャーではなく、まだまだマイナーな裏方。
 その次が、1966年のビートルズ日本公演の前座バンドを担ったことだね。前座バンドはほかにも、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、寺内たけしとブルージーンズ、尾藤いさお、内田裕也など、いろいろなので、ドリフだけが突出してたわけではなく、演奏時間は1分もないので、ちょっとしたにぎやかしである。それでも天下のビートルズの前座とくれば注目度が違う。あらためてユーチューブで見たら、なんと仲本工事がボーカルで「のっぽのサリー」を歌っている。加藤茶はドラムの最後に「バカみたい~」とおふざけ。いかりやの「逃げろ~」の号令で一斉に退散するところはいかにもドリフっぽいね。

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