●身の保全のため、“隠し録音”することは当然ながらある
ご存知、NHK番組改編問題を巡るNHKVS朝日新聞のバトルの勝敗は、結局のところ、取材した朝日新聞記者のテープ録音の有無にかかっているようだ。
読者のなかには、朝日新聞側が録音テープを出さないのは、相手の承諾を得ていない“不正”なものだから、それを出すと朝日新聞社全体のイメージが損なわれることを懸念し、訴訟というぎりぎりの場でないと出せない、あるいは、そもそも録音をしていないのではないかと思っている方も、けっこういるのではないだろうか。
だが、取材現場の感覚からいえば、重大なぎりぎりの取材では、“隠し録音”は真実を伝えるため、そして、自らの身の保全のため当然のことといえる。逆に、この手の取材において、仮に録音していなかったのだとすれば、今日のような状況は当然ながら想起できたのだから、むしろ記者として“怠慢”とさえいえると思う。
もちろん、相手の承諾を得て録音するのが基本だ。
しかし、相手の嫌がるような、例えば不正の追及の場合、相手が承諾してくれないことはままある。そして、その手の記事の場合、後に訴訟沙汰になる確率も高い。それを思えば、“隠し録音”は記者にとって必要悪である。だが、組織に所属している記者は、それを公然と言うと、会社まで丸ごと世の批判を浴びかねないから黙っているだけで、記者連中の間では、「録音して当然」というのが一致した意見だ。
もし、それが駄目という記者がいたら、その記者は、訴訟とは無縁の権力側のヨイショ記事ばかり書いているお気軽な記者もどきか、太鼓持ちの類だからだろう。
もう一つ、対抗手段がある。記者側が1人でなく、2人で出向くこと。裁判などになった際、例え仲間同士でも、2人が同じ証言をすれば、真実性は格段に高まるからだ。