筆者・堀川嘉照(ほりかわ・よしてる)。1966年生。都立上野高等学校卒。16歳からボクシングを始め、19歳プロデビュー。20歳でソフトウェア会社設立。23歳で日本バンタム級ランキング入り。引退後、ボクシング興行を手掛ける。50歳よりジャーナリズムの世界へ。
ボクシングWBAスーパー、IBF世界バンタム級統一チャンピオン・井上尚弥選手(28)を育てた「大橋ジム」より、3月15日、アマ10冠の今永虎雅(たいが。22。東洋大4年)がプロ転向することが発表された。(*井上選手のすごさに関しては、この連載で3回に渡り報じている)
日本ボクシング史上最強と言われる井上選手は7冠という輝かしいアマキャリアだが、今永選手はそれを凌ぐアマ10冠。次代の日本ボクシング界を背負って立つ選手になることが期待され、それだけの才能ある金の卵を預かる側のジムにしては相当なプレッシャーがかかるところだが、そこは大橋ジム、井上選手をはじめ世界チャンピオンを次々と育成して来た実績がある。また、強気のマッチメイクで知られ、現在、日本ボクシング界にあって「帝拳ジム」と並びツートップと呼ばれるだけに問題ないだろう。
そんな名門ジムの大橋秀行会長(57)から筆者に連絡があった。
さて、その内容は?
日本ボクシング界史上最強、現世界トップボクサー井上選手を育てた大橋ジム・大橋秀行会長は、元WBA、WBC世界ミニマム級チャンピオンで現役中「150年に1人の天才」と呼ばれ売り出された。そして、それに見合う活躍をした。(横写真=「日刊スポーツ」3月16日記事)
その通称を命名したのが大橋会長が現役時代所属していた「ヨネクラボクシングジム」(17年8月、高齢のため閉鎖)の米倉健司会長(87)だった。
米倉会長は他にも元WBCスーパーフライ級チャンピオン川島郭志(現川島ボクシングジム会長)にも「アンタッチャブル」(パンチをもらわない、触らせない)と命名。
そして、その「150年に1人の天才」大橋会長は、教え子の井上選手にデビュー前から「ザ・モンスター」と命名した。
ヨネクラジム伝統の看板選手に通称(ニックネーム)をつけるという伝統を、大橋会長はしっかり継承しているのです。